暖冬の功罪

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070301-00000118-jij-soci

過去最高の暖冬=48〜49年と並び−寒気南下せず、低気圧が東に・気象庁

●暖冬のよかったところ

  • 野菜が安かった。
  • 光熱費が浮いた。
  • 部屋の中で厚着に厚着を重ねてホームレス気分を味わわなかった。
  • 寒さで目が覚めることは少なかった。
  • 寒さで眠れないことはなかった。
  • 使い捨てカイロを買わないで済んだ。

●暖冬のわるかったところ

  • なし。

→結論:暖冬大賛成。
 ……というわけで、私に関するかぎり暖冬大人気の冬だった。愛さずにはいられない、暖冬、暖冬。
 では、私に関さないところで、暖冬はどうだったのか。スキー場や除雪作業者に仕事はなく、冬物が売れずに潰れた会社もあったろう。豊作貧乏の農家もあるだろう。だが、一方で春物が早く売れたり、多く営業できたゴルフ場もはるはずだ。ちょっと変わった気候があると、マスメディアは「困った人」探しをしてながすわけだけで、それも立派な報道の役目だとは思うけれども、どこかで得をしている人もいるわけだ。困らなくて済んだ人もいるわけだ。その秤のバランスがどうなっているか、果たして私にはわからない。
 だから私は暖冬が素晴らしかったと言う。この貧乏人は暖冬賛成の秤に乗る。それを表明する。それしかない。どこかの誰かが困っているからといって、この困っていない私がしたり顔で「これも地球温暖化の影響でしょうか。困ったものです」とは言えない。私に秤の役目は果たせず、秤を読む能もない。どこかの誰かが、官僚や神様などがそれを、いろいろな「私に関わること」の総量を読んでくれればいいと思う。あらゆる物事についてこの秤は適用されないし、半可通のしたり顔でも、卑近なことより大義(のようなもの)の秤に乗る場合もあるだろう。ただ、この冬の暖冬はよかった。よかったんだ。春なんて来なければいい。