さらば言葉よ

goldhead2007-03-02

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070302-00000018-nnp-l41

 女性配偶者を「オイ」「ワイ(方言でおまえの意味)」と名前なしで呼ぶのを禁止しようと、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長が提唱した「オイ・ワイ禁止条例」構想が、熱い議論を巻き起こしている。

 俺の通った小学校には奇妙な行事があった。その名も「ねさよ運動」。語尾に「〜ね」、「〜さ」、「〜よ」をつけるのは、地元の汚い漁師言葉だから、それらを追放せよというのだ。そして、大きな竹に七夕飾りのように自分たちが汚いと思う言葉(=教師がそう望む言葉)を書いて、なんと火をつけて燃やしたのだ。バックにはあやしげな「ねさよの歌」、古い音質で流れていたと思う。これがいつの時代の話かと言えば、戦後まもなくどころか平成に入ったころなのだからおかしいでしょう。とはいえ、十数年から二十年前になるので、多少正確さには欠けるかもしれない。ただ、俺はそう覚えている(実際のところ語尾の「ねさよ」など使われておらず、もしやり玉に挙げるなら「〜だべ」の方と思ったべ。スマップの中居君のしゃべり方を思い浮かべられたし)。
 そして俺は、この行事が何よりも嫌いで嫌いで、嫌で嫌で仕方がなかった。なんでこんなに気持ち悪いことを大の大人がやるのか理解しがたかった。こんなに気持ち悪いものが許されていいのか疑問だった。上っ面の言葉を丁寧にして何が残るんだ、阿呆か。日教組支配の強いクソ小学校で、いろいろ嫌な思い(http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20050713#p1http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20050713#p2)もしたけれど、これが最悪だった。
 こんな行事、ほかの学校にもあるのだろうか。ちょっと検索すると、次のテキストが出てきた(トップページはここみたいhttp://subsite.icu.ac.jp/prc/aols/contents.html
http://subsite.icu.ac.jp/prc/aols/HIRATA/4.html

象徴的な事例は一九六〇年代に「ねさよ廃止運動」というのがあった。 これは鎌倉市の腰越小学校というところで始まって、神奈川県全域に広がり、北海道に飛び火して東日本全域をおおった大きな国語の運動だった。国語教育の中で「ね、さ、よ」を「使わないようにしよう」というのだ。「きょうはね、わたしさ、学校に行ったよ」と言わないで「『きょうは私は学校に行きました』と言いましよう」という運動だった。今から見るとちょっと滑稽だ。

ね、さ、よ、は単なる間投助詞として取り上げられたのではありません。人間の関係を壊してしまいがちな悪い言葉の象徴として考えられたのです

 ああもう、ぶっちゃけ俺の母校です、鎌倉市立腰越小学校。いや、歴史の古さだけが取り柄だと思っていたが、まさか東日本全域を焼き尽くす言葉狩り発祥の地だったとは。そして、「六〇年代に」とか言われてるけど、まだ20代の俺がこの洗礼を受けてるってのも滑稽すぎる。かつての栄光の日々の追憶として、あんなカルト行事を細々と続けていたのか、恐ろしい。中学から私学に逃げて正解だったな。人生には失敗したけれど!

【11年後追記:上のリンク先が消えている。こちらのPDFにいくらか記されている。
http://www.niye.go.jp/kanri/upload/editor/8/File/kiyo0815.pdf
……が、「ネサヨ祭りは1966年まで長期に行われ」とあるが、1979年生まれのおれが参加させられとるのやで】

 さて、「オイ・ワイ禁止条例」の提案。これも同じだ。センスのなさに虫酸が走る。「議論が沸騰したおかげで、かなりの部分で目標を達成したかもしれない」という言いぐさも醜い。そもそもそういう意見なら意見で好きに言えばいいん。それを条例なんてものと結びつけるから醜い。言葉をそんなもののための道具にするんじゃない。なぜかわからないが、俺いきどおる。