高野山懐深すぎ

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「昇魂式」と題し、18日に高野山東京別院で開催。真言宗の開祖である空海の弟子が、ケンシロウらが伝承する暗殺拳北斗神拳」を日本に伝えたという物語の設定のため、真言宗の寺院が選ばれた。

 日蓮さんが生きていたら、「真言亡国!」と言ったんだろうか。生命の躍動する宗派と言われる真言宗だが、いや、ラオウの葬式までやるとは恐れ入った。それになんだ、空海の弟子が暗殺拳持ち帰っていたとは。まあ、御大師様自身、書に文芸に語学に筆作りに土木工事にと、なんでもござれのスーパーマンだったので、神拳の一つくらい修得しておられても不思議ではないか。そんなことはないか。しかし、言われてみれば「北斗の拳」、なんか仏教臭いといえばそういうところもあるような気がする。「お前はもう死んでいる」というのは、生きながらにして臨終を終えた機法不二の境地であり、「俺の名を言ってみろ」というのは天上天下唯我独尊の正覚を得た人にしか出てこない台詞。目の前のでかいババアを指して「お前のようなババアがいるか!」というのも、ロゴスでは割り切れない禅機に富んだ一言といえる。このような深い洞察のすえに、仏教界もラオウの葬式をするわけであって、単にラオウの葬式をするわけでないと見なければ、葬式の職業の人たちが新しい商売を思いついたようにしか見えないので注意が必要なのである。