『異邦人たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展』国立新美術館

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 生来の田夫野人にして山野を這いずること日々の行とする身なれども、時に東京を訪ずる縁あり。然れども六本木、ヘイポー云うギロッポン訪れるは、畜生の身ままで霊山一会に迷い込むが如くなり。此も世の美なるもの見がたきこととかと思う。

 画集を買う金もなく、ペラの出品作品リスト見返しながら適当に感想をメモする。見た順番でもなく、見てから十二時間以上経って記憶もあやふやなので、何かの目的で検索によってたどり着いた人、まかり間違っても何かの参考にしてはならない。

 パブロ・ピカソ、五点出展の大盤振る舞い。『トルコ帽の裸婦』、『座せる裸婦』がよかったか。『座せる裸婦』の暗さときたらなく、暗くてかなわない。暗さで三杯飯が食えそう。トルコの方は盛りっぷりがもりもりでよい。ぐいぐいってくるところがあるよね。

 アメデオ・モディリアーニ。モジリアーニ、ああ、暗い暗い複製画が、失われた実家の、暗い暗い階段に掛けられ、幾年月も忘れ去られ、埃だらけになって、ああ暗い暗い。

 藤田嗣治a.k.aレオナール・フジタ。おお、これが藤田の乳白色か。おそらく初めて見た。なるほど、妙味のある色。『パリの私の部屋』置物の犬がある方の置物の犬には眉毛があっておかしい。『友情』の女のアウトラインの細い墨は何を使って入れたのだろう。ロットリング? なわけねぇか。乳白色、そして細かさ。ええなあ。あとは、戦争画っぽいのとか、晩年のとかいつか見てみたいな。っつーか、こないだ見ておけや。

 シャイム・スーティン。実物を見ないと描けないので、アトリエにはいつも動物の死骸などが吊してあり、‘肉屋のスーティン’の異名を取ったという。サーシャ・バクティンみたいでかっこいい。関係ないか。『緑の雨戸にある野ウサギ』なる作品があって、まあ死んだウサギである。さて、ほかに二点、『彫刻家ミースチャニノフの肖像』、『聖歌隊の少年』なる肖像画。やはり「見ないと描けない」のだろうか、なんとなく二人とも、早く帰りたがってるような、嫌そうな顔に見える。

 マルク・シャガール。今回の目玉の一つ二つ三つだろうか。我らうっかりして『エッフェル塔の新郎新婦』見過ごして、見過ごしたのに気づいて引き返して事なきをえた。いや、見られたのだから事をえたか。まあどうでもいい。この新郎新婦って、『ちびまる子ちゃん』に出てこなかったっけ。まるちゃんが見て衝撃うけるようなやつ。このニワトリのやる気のなさ(俺がかわいいと感じるものに対して使われる最上級の表現の一つ)ったらない。そして、『墓地の門』。これの妙な雰囲気はいい。色もいい。アロハシャツにしたい(俺が美術作品に対して用いる最大限の称賛)。なんだこれは。やっぱりビッグネームは強いな。

 ヴィクトール・ブラウネルの『狼テーブル』。狼なのに狐だが。テーブルの足一本足形になっている芸は好き。俺も部屋に一つ鹿の頭部剥製があるから、『鹿テーブル』作ってみようか。いや、『馬テーブル』か? 且道、そのテーブルで食事をとる者はなんと呼ばれるか?

 マックス・エルンスト「フランスの庭園」。へえ、こういうエルンストのは初めて見たような。

 フランティシェク・クプカ。「動きのある線」、「線、平面、空間、III」。解説板に「音楽理論に則って」とかなんとかあったが、確かにそういう感じ。配置された色つき図形が、運動している感じ。この人は1871年生まれだが、ちょっと100年くらい後に生まれていれば、コンピュータを使って、もっとやりたいことができたのかもしれない。それとも油でやるだろうか。考えても詮無きこと。
 ……このあたりの部屋は、色に満ちあふれていていい。単に色を適当に塗ったり配置してあるだけじゃないか、というとそうなのだろうけれど。ほら、小さなころ絵の具、クレヨン、色紙、折り紙、そうだ、折り紙、折り紙を少しずつずらして出すときのあの感覚、あるいはおもちゃ箱の中のお気に入りのおもちゃの工業的な色、プラスチックの匂い、喚起させるものは、あまりありふれたものではない、俺にとっては。

 アンス・アルトゥング。「琳派か」(http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20040905#p1)と思ったら、ドイツ人だった。解説に「晩年はエアブラシに」などとあったが、日本に来て禅でもやればよかったかもとこの二点からは。それだけ。

 ヴィクトール・ヴァザルリ。「金剛界曼陀羅と胎臓界曼陀羅か」と思ったら、補色を用いた視覚的なあれこれの、何とかismだった。日本かチベットかインドかに行って、それぞれの○の中に諸仏を描けばよかったのに。

 トーレ・ヨーンソンの写真。いろいろの写真も出ていたけれど、この人のが一番好きだった。ともすれば、現代の広告的、ちょっと一言キャッチ入れたらできちゃう的なものかもしれないが、まあ、俺も写真のことなどよう知らないし、そういうことだ。一番いいのは馬車と車がシルエットになってるやつ、としか言えないのは全部「無題」だからなんだけど、評論とかする場合はどうするんだろうね。

 マッタ『無秩序の威力』。これは大物(サイズ的に)。いや、サイズに見合った威力ある。処刑された共産党指導者へのオマージュと言われてもなんだかわからないが、SF的、あるいはレトロモダンなSF的、ファンタジー的。しかし、どちらかといえば悲惨さ。一筋縄ではいかん。

 ダド『嬰児虐殺』。みんな「どうなってるんだろう?」と半ば嫌々顔を近づけてみるが、その実、単に細かく赤い線入っているだけだったど。

 エドュアルド・アロヨ『脱獄したジャン・エリオン、ポモジェからパリへの道のり』。メーンテーマと思われるところの「脱獄したジャン・エリオン、ポモジェからパリへの道のり」のことは知らないが、この絵は「脱獄したジャン・エリオン、ポモジェからパリへの道のり」を描いているのだなあと了解できる傑作。風刺の『世界一の馬』が同じ作者だと知って、今おどろいたが、そっちの馬はあまり面白くなかった。

 エロ。このエロが面白い。どこのエロかといえば、アイスランドのエロだ。しかし、中国絵画のエロだ。『モンマルトル』。手術の光景。手術台で勇気をもって医者に託す患者、手を握り励ます看護婦、優秀そうな医師たち、フルーツの缶詰、全部中国人。いや、おかしいです。それで、『モスクワの水彩画』もたまらない。この子供の、嘘の笑顔、空々しい笑顔。これがいい。心がこもっていなさそうなのがいい。色遣いもキッチュでいい。この中共趣味というか、北朝鮮趣味というか、これに30年早く気づいていたのはすごい。いや、本人がどこまで何にマジなのかはようわからんが。『サン・マルコの毛沢東』はあんまり面白くない。

 ウラジミール・ヴェリコヴィッチ『形場No.5』。これは縦長の大物。ギロチンの絵で、こいつはかっこいい。かっこよく暗い。ロシア人の絵も多かったが、なんとなく暗い。そういうものか。

 トム・ドラオス。かわいいオブジェの白黒写真、目のところだけ彩色。これはなんかいいな。いつかパクリたいな。でも、オブジェ制作にびたっとくる写真撮れなきゃできないだろう。

 アブサロン『騒音』。作者がビデオカメラに向かってひたすら「アー! アー!」と叫んでる。この2分30秒の撮影のあと自殺したらしいが、これから自殺する人間もアー、アー怒鳴ってたら、最後はのどが枯れるのだな。

 エリック・デュイケール。大学教授風のなりで、場所で、ひたすらラップでエマヌエル・カントを攻撃、というパフォーマンス。クソ下手なカント・ラップは無駄に頭に残るので危険。

 あとは、さすが吉永小百合のCMで大見得切るだけあって、美術館のテレビはシャープのアクオス。いくつかあったが、一番最初の、一番制作が古いと思われる映像が一番のみものだったか。しかし、軽々とあちらからこちらへと撮しているが、当時の機材がなんであったかわからんが、今のような小型ハンディカムでもないだろうに、そのあたりはよくわからなかった。

 この美術館は黒川紀章とかいう人が設計したらしいが、なかなかのしろもんだと思った。中の居心地はいいし、外観の方も新築マンションのチラシに入ってるような株立の木との相性もいい。写真はいつかまた載せようっと。
 東京ミッドタウンの方は人多すぎて素通りしたが、まあ東京ってのはえらいところだね。