なにが釈然としないのか見極めるのはとてもむずかしいように思える

http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070412-183348.html

代理出産でもうけた双子男児(3)の出生届不受理が最高裁で確定したタレント向井亜紀(42)元プロレスラー高田延彦(44)夫妻が11日、都内で会見し、男児の出生届提出を断念したことを発表した。

 ワイドショーでこの夫妻の会見の一部を見た。見て、なんとも釈然としない気になった。もっとはっきり言えば、あまりいい気持ちはしなかった。それなのに、スタジオの眞鍋かをりなどは完全に向井乗りであって、ほかに批判的な意見も少なく、これは意外だった。あまりにこんがらがった話なので、どの面を見るか、どの段階を見るかで、大きく変わってくるものなのは確かで、この草むらに分け入って、問題を切り分けて、是と非の意見を述べるのは大変なことのように思える。
 たとえば、向井が会見で述べていた「書類、契約、ペーパー」を見れば、彼らが法律と契約の戦略に失敗しただけ、といえるかもしれない。結果的にネバダ州の法律を立てるならばネバダ州の住民になるよりほかなく、日本国には日本国の現行法があるというだけで、そういう判断が下される可能性は考慮すべきだったろう。しかし、ただでさえ法律なんてわからんのに、こんな微妙な、国際間の問題はわからん。
 わからんので、とりあえず、今後人類が向かい合っていくべき代理母について考えてみようか。そもそも、眞鍋などは「どこに問題があるのかわからない」と最高裁判断に否定的であったが、最高裁は現行法に拠るほかにないわけで(なのかな?)、代理母をどうするかは未だの問題だ。
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/dairibo.htm
http://www.globe-walkers.com/ohno/article/dairibo0610.html
 で、どうも、このあたりの記事を読むと、この形での代理母は、生きた人間を赤ん坊を生む機械として買った印象は否めない。生ける臓器売買。需要があって供給があればそれが全て、とはいえないだろう。無論、無償の愛で腹を貸す女性もいるのだろうけれど。
 人間が、愛し合う夫婦が、自分たちの子供を持ちたいという思いは自然だといっていい。その場合の「自分たちの」が、彼らにとって「自分たちの遺伝子を引き継いだ」という意味であることも、彼らにとってそうであれば、それを他人が否定するわけにはいかないように思える。「血の繋がらない養子でもいいのではないか」という考え方もあるだろうし、そういうアドバイスはあってしかるべきだと思う。が、究極的なところで、それをどう判断するのかは、本人達であって、そこでよからぬ妥協があっては子供も不憫になる。というわけで、遺伝子至上主義、血統至上主義の夫婦がいても、それを他人に押しつけない限りは認められる考えだろう(会見で向井が自分たちをして「自称家族」などと言うのは、いささか配慮不足に思えた)。さて、そこで、他人の腹による出産を買おう、というとどうだろうか。そこで、ちょっと待ってくれ、といいたくなる。
 ……が、ここで俺の思考も待っただな。生体肝移植みたいなのはどうか。いいんじゃないか。輸血・献血はどうか。無くちゃ困るだろう(注:私は注射恐怖で献血経験ありません)。骨髄移植は。メンバーが足りません(注:私はメンバーではないです)。じゃあ代理出産は。うーん、いや、ここで、上の記者の言うように、ビジネスとしての代理母と、無償ボランティアとしての代理母を分けるべきだろうか。しかし、代理母自体のありなしがまず横たわっているように思える。俺は、生まれてきた命に関しては、赤ちゃんポストのときに考えたように(id:goldhead:20070406#p1)、無償の歓迎あってしかるべきと思うが、生まれる前段階、どのように命をつくるか、という点において、「子が欲しいのは自然」のままに、野放図でいいのか、と。生まれてきた命は無条件に歓迎しよう。しかし、たとえば、代理の人間でなくして、本当に子供を産むデバイスができたとして、それでいいのか、と。それができていいのか、と。
 それは、そもそも人間とは何か、生命とは何かという問いになる。人間観、生命観の問いだ。これは難問であって、科学のように一つの証明に至ることはないだろう。ゆえに、おのおののそれを出し合って、落としどころを探って、最後は多数決によるよりほかはないだろう。で、俺はその提出を求められても、今のところ答えようがない。「ちょっと待ってくれ」といったところで、技術の進歩は止まらないし、向井亜紀は子が欲しいし、高田は光速でタップをする。まだ人類の技術の進歩がおだやかだったころは、いくらか考えて折り合いをつけていく暇もあったかもしれないが、もはや乖離の速度は人類の科学以外の思考を許さない。だからといって、何らかの問いに光速タップして見ないことにするのが、われわれに残された合理的結論とも思えない。相手は体にオイルを塗りたくっているのかもしれず、降参するまえにレフェリーにアッピールすることも必要かも知れないのだ。