いいよ、たまにはやってやれよ

goldhead2007-06-01

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070601-00000304-yom-bus_all

IWC脱退も辞さず、新機関設立も…日本政府代表が示唆

 俺ははっきり言って、鯨肉食い放題の世代じゃないからさ、たまに食って(id:goldhead:20050703#p1、あと、こないだスーパーで半額になってた刺身食った)、肉とも魚ともいえん妙な味わいにしびれるくらいなもんでさ、必要以上のノスタルジーも美化もねえわけでさ、食材としては、あればいいな、あったところで高けりゃ食えないな、って程度のもんだよ。クジラ食うのは日本食文化のひとつだけれども、これがダメなら日本文化は死ぬ、というほどのものとも思えないね。
 だったら、反捕鯨国さんたちとの関係を重んじて、やめましょうってのか? それもどうかと思う。もしもクジラ食う/食わないで、国同士の関係がぶちこわれるくらいなら、しょせんはその程度の関係じゃねえかって。クジラで譲歩したところで、その程度の地盤しかない友好関係や友好関係である必要性なんてねえんじゃねえかって。食文化の相違ひとつで貿易や安全保障に問題が生じるなら、クジラ関係なくてもたいしてありがたがる関係じゃねえだろうって。
 とまあ、こういう感情論。なにせ俺は昭和の子だからな。で、問題はデータが絡んでくるところ。俺は何度も言うように、保存主義者だから、くじらに滅ばれても面白くない。で、データとなると、減少は明確だとか、増加しているとか、評価できるデータはないだとか、いろいろ話があってお手上げだ。
 ただ、漁師や猟師ってのは、獲物が絶滅したら、自分たちのおまんま食い上げだって存在。一見、樹を伐採して森を破壊してるように見える林業こそ、森を守ってきた行いでもある。クジラで生かされる人間こそが、クジラを生かしたい人間なんだぜって。
 とはいえ、その構図、この現代において額面通り受け取れるかどうかって疑問はある。森の話でいえば、熱帯雨林がガンガン減ってるそのところに、森とともに生きる思想、森に生かされる発想はない。樹を必要とするところと樹とともに生きる範囲に乖離がある。これ、漁業にだってあるんじゃねえかって。これまたデータの存在とその解釈とその真偽などなど関わってくるところだろうけれども、日本のみ、あるいは日本のみならず大量に大漁が必要とされたりした漁業資源が、はたして共存のサイクル下に入れるかどうかって、そういう懸念はもっともなものだとは思うぜ。
 でもな、ことクジラに関して、これはどうだろう。少なくとも、これから先、日本人がクジラを食うようになったところで、そういう濫獲の心配、濫獲による絶滅の心配はいらねえように思う。思いたい。なにせ、IWCの椅子を蹴って脱退するわけだ。大見得きって、「こっちはこっちでやらせてもらう!」とやっちゃったわけだ(まだやってないけど)。これで絶滅させようもんなら、これはもう逆に食文化ひとつで済まされない。その覚悟のうえで、日本が捕鯨しようっていうんだ。まあ、大丈夫じゃねえかって、それこそ命がけでクジラを「守る」って。だからよ、たまにはそういう日本の気概を見せてやれって、たまには喧嘩してやれってさ、なんだかわかんねえけど、そう思っちまうな。