競馬マスコミ信じるべからず、また信ずべし

goldhead2007-06-06

http://sports.nikkei.co.jp/keiba/column.cfm

この種の陰謀論的コメントが幅を利かせる理由も問題だ。メディアの騎乗批判がタブーだからである。

http://wave.ap.teacup.com/mizukami/330.html

厩舎の顔色を見て、調教師談話を押し頂き、張り付いていかにコメントを集めるかに血道を上げる「ぶら下がり取材」こそが使命と勘違いしてきた競馬マスコミが、関係者の増長の温床となってはいないか、ということである。

 競馬マスコミはあくまで競馬側の内輪であって、批判記事なんて滅多に書かないなんてのは、競馬を始めたころからなんかわかってたことだな。今でだって、多少のオブラートに包んで物言うのは、競馬評論家としてのベテランぐらいだしな。そんな歪んだマスコミと関係者、たまたま手元にある、俺の競馬の聖典『競馬・男の一本勝負』(清水成駿著・1992年刊)から、そのあたりについての記述を探してみようか。

「成駿さんヨー。騎手ってのは、だんだんその気になるから不思議だよね」
「なにが……」
「たとえばだよ。火曜日の調教に乗ったときに、こりゃあ、今週のレースはダメだなと思う。そこへ記者さんが取材にきて、相手関係からして、けっこういけるんじゃないですか、なんていわれる。いやあ、どうかな、なんて答える。次の日、また記者さんがきて、同じレースをつかうあの馬には、以前のレースで何馬身差で先着しているから、いい勝負になるんじゃないスか、なんていわれる。そうすると、こちらも、だんだんとその気になってくる。そんなやりとりをしているうちに、追い切り後のコメントでは、知らず知らずのうちに、勝ち負けになりそうだなんていったりするんだよね」

 この語り手は安田富男。なーんかヤストミらしくておかしい。清水曰く、記者の先入観でコメントが作られることもあるから、取材トラックマンの傾向を知ることも大切だなんて、難しいことおっしゃる。
 ……て、えらく牧歌的というか、元の話題のシリアスさから遠くなってしまった。えーと、取材拒否、そりゃファンからすりゃおもしろくない話だ。マスコミが嫌いでも、その先のファンを見てくれって。ファンがお前らに飯を食わせてるんだぜ、って。って、えらく偉そうだけれども、競馬は主催者だの馬主だの、あるいは賭け事という存在自体だの、いろんな方向に利害が絡み合ってて、そのあたりが「試合見せる→ファン金払う」の構図がいまいち見えにくいようにも思うけど、少なくとも日本の競馬はファンが博打に金出さなきゃ成立しねえだろうって、そのくらいは言いたい。
 で、マスコミが嫌ならガリ版のビラでもブログでもいいから、ファンに届くようになんか言ってくれと思った。藤田伸二はダービーの晴れ舞台のイベントに穴を開けるくらいなら、海外移籍でもすればいいと思った。武豊競馬ブック取材拒否の件は、騎乗批判というよりも、八百長をにおわせるような表現だったから、武が過剰に反応したんじゃないかと思うけど、当時の事情わからん(ブック読者じゃないし)ので、それはまあ置いておこうと思った。あと、プロ野球なんかでは辛口の批評も多いと思ったけど、それはかつての名選手が評論家になっていて、そのあたりがあるんじゃないかと思った。「だからって今どき張本勲の言うことが通用するのか」とか、「デーブ大久保には言ってほしくない」とか、そういうのはあるけど、やっぱり対現役影響力という点は見過ごせないと思った。もっとも、系列局との絡みや「再びユニホームを」の意志から、OBが好き放題言えるわけでもないと思った。でも、騎手なら馬乗りの怖さを知っているわけで、そのあたりで「知らない人間に……」ということもないと思った。そうなると、かなりの実績があり、なおかつ競馬から一歩離れた人間が評論家として物言う雰囲気を作り出せばいいと思った。やっぱり田原成貴、あんんたこそが馬社会の江夏豊や!……という結論より、岡部幸雄の名前を出した方がいいかと思った。