『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』の予習 

 
 今週末にパイカリ3(パイカリという略称は今号のテレビブロスで知った)を見に行く予定。俺は映画館でハリー・ポッターパイレーツ・オブ・カリビアンしか見ないです。それで、頭の中で「復習、予習」とささやくなにかがいる。
 というわけで、過去の日記を遡って読んでみたら、確かにこの映画、予習、復習が大きなテーマ(内容面でなしに)となっているようだ。とくに2を先に観た俺としては、そこのところが大きなポイントだったようだ。で、長々と書いてあるわりには、「ジョニー・デップにしびれた」くらいのことしか書いてなくて、俺は俺におおいに失望した。でもまあ、復習どころか事前知識「女の人がいて、海賊が来た」だけで2を楽しめてしまったのだから、3だって同じようなものだろう。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2007060702022329.html

映画ファンとして寂しいのは、この大航海時代に活躍する伝説の海賊たちの中に、日本人が含まれていないこと。アジアの国々といまだに歴史を共有できないこの国は、エンターテインメントの仲間には入れてもらえない

 「ワールド・エンド」について書かれた一番ファンタスティックな文章というと、これだろうか。パイカリって、「アジアの歴史教育を考える会」とかが作ってるんだっけ、などなど、言い出したらきりがなく、もうどうしていいかわからないくらいすばらしい。
 と、そのあたりは人任せにして、そういや日本人って大航海とか、七つの海をまたにかける海賊とかとあんまり縁がないかなとか、そっちに妄想の舵をとったり。遣唐使の時代にしたって、アラブの方じゃ船底のとんがったああいうやつでスイスイやってたのに、こっちの船は昔ながらの底が箱形の船で危うい船旅していたわけだ。倭寇のいくらかが日本人だったのかわからんが、それを考えても活動範囲は狭い。村上水軍なんかも、掠奪海賊業から公の存在に、なんてのは、あるいは西洋の海賊に近いかもしれんが、あんまり遠くに行こうって気もなさそうだ。あんまり海の向こう、太平洋の向こうまで艦隊を派遣しよう、的な発想はない。行くとしても中国大陸の方だ。日本は島国であって、海とともに生きてきたともいえるが、あーんまりそのあたりの、遠くへって意志は少なかったんかな、とか。このあたりは、文化的、文明的、宗教的、地政学的さまざまの背景があるに違いない。「名も知らぬ遠き島より〜」と、何かが来るところ、あるいは補陀落渡海みたいのが日本的なのかどうか。あーんまりひきこもり性質ばかりが日本人じゃないけれども、古い時代においては長期航海技術にそれほど興味を抱かなかったのはちょい不思議という気もする。
朱印船はけっこう行ったか。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E8%88%B9

 「ワールド・エンド」というと、くるりの「ワールズ・エンド・スーパーノヴァ」(id:goldhead:20041006#p3)など思い出す。これはもう何度リピートしても飽きが来ないような名曲。さらには、ポール・セローの『ワールズ・エンド』(ISBN:4163098100)なんて本もある。村上春樹の訳で、なんかいい感じのだったと思う。内容はあんまり覚えていないけれども。
 というわけで、世界の終わりや果てに悪い話はなく、期待して行こうと思う。思うぞ。