一回の大食は地獄である

 日曜日に、競馬に勝った金で焼き肉を食った、ビールを飲んだ、そして笑った。俺にとってこんなことは数ヶ月に一度のことだ。普段の食費で考えたら、何日、何十日分食った、飲んだ、笑った。
 たまには、いいじゃないか、と思う。別に何万円というわけじゃあない。何ヶ月かに一度の大食じゃあないか。たまには、いいんだ。それで終わるならば。
 終わらないのは何か。始まったのは何か。餓えだ。翌日、あの餓鬼が腹の中で騒ぎはじめる。朝も昼もいつもと同じ。朝は食パン二枚、昼はいつもの弁当箱で弁当。夕方になって餓えた。餓えてどうしようもなくなって、コンビニに行って五個入り137円の菓子パンを買って、一気に平らげた。
 確実に、肉のせいだ、キムチのせいだ、ビールのせいだ、牛刺しのせいだ、大盛ライスのせいだ。俺の胃は広がり、脳は「もっとカロリーをよこせ、もっと肉をよこせ、もっと油をよこせ、快楽物質を発生させろ」と要求する。自炊中心、和食中心で築き上げたものは一気にゆらぐ。
 この人間存在の一刻一刻、怒るたびに修羅道に堕ち、欲情するたびに畜生道に堕ち、餓えるたびに餓鬼道に堕ちるともいう(白隠と武士の逸話。「そこが地獄だ!」)。輪廻とは死んで来世のことなどでなく、まさに今、この瞬間のこと。しかし、地獄の次に平常心にすぐ切り替われるかどうか、それは難しい。地獄の絡め手だ。
 ところで、俺は焼き肉屋というものに生涯三回くらいしか行ったことないのだけれど、食い放題というのはどうなのだろう。俺はかなり食えるような気がするし、そっちの方が得だと思う。あと、近くのすき家で「牛丼食い放題980円」という馬鹿げた企画をしているのだけれど、どうだろうか?