さて、帰るか

 十分か十五分か假眠して目覺めてモニタに戻りますと、視界の際の螢光燈の光がひどく青味がかつて感じられます。まるで六月の雨上がりの午後の、暑くもなく寒くもなく太陽の姿もなく、何處までも澄み渡るばかりの空が、部屋中の窗といふ窗に貼り附いたかのやうです。私は、仕事を終えて、自轉車を走らせ、青空の藤沢の街に出て行く私の姿を思ひ浮かべる。青い空の下、川沿いの道を自轉車で行く私の姿を思ひ浮かべる。とても自然に思ひ浮かべる。私は一心不亂にモニタだけを見つめて、無心にキーを打つ。間違つても窗を見てはいけません。関内の窗の黒い午前零時を見たら、私の青空が消えてしまうでせう。私の視界の真ん中にはモニタの光、視界の際には青、青、青、青空の青。ラジオからは木村カエラ、外に出れば六月の青空。さあ、今日の午後は何をしようか? 何處へ行くのも自由、自由。