しかしまあオンラインで銀行口座から金出してプチ株の株価をプチプチしたり、週末にPATでパラパラ馬券買ったりするけどさ、よくこんなもん信頼できるもんだよね。デジタルの数字だもんね。向こう側で動いてるのもデータだしさ、ほんとに動いてるんかよ、とか。「どうせマイナスになるんだから、数字だけ見せておけ」って、こっちはスタンドアローンのアプリ動かしてるだけじゃねえかとか。なんかわかんねえけど、まったくもってそこんとこを疑い出したらきりはねえけど、あえて疑ってみせてるだけで、疑う気は毛頭なくてさ。
その信頼ってどっから来るんだろうって思ったらさ、たとえば俺ファミコン世代でさ、ファミカセん中のデータってものはあってさ、ドラクエならドラクエで貯めた経験値だのゴールドだのってのは、アクセスすればあるよってさ、そういうのあったりするんだろうかな、とか。ドラクエのゴールドは現実ではどうにもならねえけど(最近のオンラインゲームじゃどうかなるらしいけど)、まああの中では実体として流通したりでさ、そこから数値化されたマネーに抵抗ねえのかなとか、そっから始まったのかなとか。
ああ、でもさ、別にケータイやネットなくてもさ、その直前が給料袋にお金入れてもらってた時代ってわけでもねえか。振込の給料、通帳、それもまあそういうもんだよな。
つーかさ、お金、貨幣、マネー、これ自体がそういうものでさ、コインで腹をふくらませたり、貨幣でのどの渇きを瘉せたりもしねえけど、お金は価値があるって、そこんところが発明されたところから始まったのかもしれないか。
いやさ、それともさ、そもそもさ、人間が言葉を得たときから始まったことだというのか。