1枠2番セイコウタイケン 単勝18.8倍

 数日前ラジオつらつらかけながしていたら、茂木健一郎が出ててリスナーの質問とか相談にこたえてて、「仕事のやる気がでないんです」って相談に対して「成功体験が足りないのではないか」て言ってんの聞いて、そうだ、それだよ、俺が毎週毎週競馬する理由、それだよ、俺は成功体験が欲しいんだよって思ったよ。
 俺はご覧の通りろくでもない負け犬Soy un perdedor I'm a loser baby so why don't you kill me? の悲観主義者なのだけれども、このくそくだらない負け続ける人生で、一瞬だけのすごいスパーク、マイネルスパークル、きらめき、花火か火花か、スパンコール、スパングル、コスモスパングル、くそったれ、俺はこの世界の中の王様だって思える瞬間があって、それが、馬券の当たったそのとき、そのときだけなのだ。それはもう、オッズや掛け金の大小に関わらず来るべき世界。もちろん、穴馬券を獲ったときの俺の、オンクラウドナイン、世の中の人間を全部見下せるような気分ときたら……。俺なんかじゃ言葉にならない。詩人の言葉を引用しよう。チャールズ・ブコウスキーからだ。
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20050809#p1

しかしうんと短い時間の枠の中だけに限定すれば、とても短い、たとえば自分の馬が走って、それから勝利を収めるほんの一瞬。そこには何かがある。何かが起こるのがわかる。気持ちが高揚し、陶醉感に襲われる。馬たちが自分の言いつけどおりにしてくれる時、人生はほとんど会得されうるものとなる。

 そうなんだよ、この陶醉なんだ、この陶醉が人生にはなかった、競馬以外のほかのことにはまったくなかった。でも、ひょっとしたら、この光って、俺が競馬の中にしか見いだせない高揚って、世間の皆さま、小さなころから大きくなるまで、日常の中でコツコツと味わったりしているもんじゃあないでしょうか。俺の中にはこれっぽっちも見つからないけれども!
http://www.counselingservice.jp/lecture/lec63.html
 つーわけで、成功体験で検索して出てきた上の方のページ。まあ、こんなとこだろう。いや、そんなことわかってる。ずっと昔からわかってる。お前に言われんでもわかっとるわ。でも、俺は、自分の成功に目を向けることができない。向けようとしても、その上に百個の失敗が覆い被さる。さらに言えば、頼みの綱の競馬だって、高揚の後に訪れるのは「もっと買っておけば」、「買い目はもっと絞れたんじゃないのか」……の念。一つ上で有名馬について「あまりいい思い出はない」としてしまうのも、その実なにかいい思い出のレースがあっても、それ以上にその馬で外した経験、それが上回る、上塗りされる。
 だから、デンコウセッカ、馬ゴール板駆け抜ける、その刹那にしか、生きている俺いないのだし、そこで俺は満たされるのだし、それを得るためならどんなに外れ馬券の山を積み重ねたって構わないのだし、俺は今までそうと気づかずにそうしてきたかもしれないし、そう気づきながらそうしてきたのかもしれないし、これからもそう気づきながらそうしていくのだろう。R.I.P.そんなことだったとも。