死と傷のリアリティ

 東京都足立区梅田2丁目の機械工、佐々木亨さん(52)方で11日夕、佐々木さん夫妻ら大人3人が死亡、二男で都立高1年の晃さん(15)が両手首の切断と後頭部陥没によって意識不明の重体となった事件で、遺書らしい文書がみつかったほか、外部からの侵入の形跡がない上、亨さんに抵抗の跡がないことが判明した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080212-00000901-san-soci

 まず言いたいのは「一家4人死傷」という見出しの曖昧さ。死者と負傷者では大違いなのに……って、前にも書いたな。

 まあ、そういうわけで、「死傷」という言葉は嫌いだ。
 それはともかくとして、この事件。今のところ、悲惨な家族殺害、無理心中と見ていいのだろうか、ともかく俺は「両手首の切断」というところにひどい恐怖を抱いた。本来ならば、死の方が怖いはずじゃないか。しかし、どうも俺は、身体欠損の大怪我の方に身震いする。
 死に対してリアリティをいだけない、想像がつかないところがあるに違いない。死ねば終わり、そういう漠然とした印象。一方で、肉体や身体機能に対する重大なダメージについては、痛みに想像が働く。
 まあ、ことさらに「現代日本人は死や死体を社会の中から隠そうとするあまり、生のリアリティも死のリアリティも、本来人間が持つ死生観も見失ってる」などとは言えないだろう。人間痛い目にあったり、程度はともかくとして怪我をしたりはするが、一度死んだ経験を持つやつはいない。もちろん、半死半生から生き返った人はいるだろうし、そういう経験があればまた別やもしらんが。
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 話は逸れるが、明らかに体に悪いくらいの暴飲暴食だの、あるいは飲酒運転だのについて、「どうせいつか死ぬんだし」、「別に死んだってかまわない」というような意識も、死はあっさりとすみやかに訪れる、そんなある種の楽観がベースにあるように思える。だが、人間なかなか死なない。死ぬときは簡単に死ぬけど、そうあっさりと死ねない。その点において、死を持ち出すよりも、苦しみながら生きるというリアリティを持ち出す方が、抑止になるんじゃないかと思う。
 ……というのも、糖尿病の気がありながら飲酒と暴食を改めず、結局インシュリン注射まで行った(飲酒運転はしてないと思います)自分の父親を見て感じたことなのだけれども。ただ、人間なかなか人の言うことを聞かない、納得するときはあっさり納得するけれど、意固地になれば簡単にはいかない、そういうものなのだし、それは俺にしたって変わらないのだけれども。