『ゆれる』/監督:西川美和

ゆれる [DVD]
 日本映画の年度代表と言われれば、それはそうだと思える作品。オダギリジョー香川照之の両主演に、脇を固めるベテランの蟹江敬三伊武雅刀ピエール瀧田口トモロヲなんかも出ていて、最近の印象とぜんぜん違うので未だに信じられない真木よう子。そして、新井浩文木村祐一安藤玉恵……って、なんだ『松ヶ根乱射事件』とやけにキャストがかぶってる面々。そういうわけで、なんとなく『松ヶ根』と同じく「地方」というものを強く意識しながら見始めたわけだけれども……やはり兄弟間のゆれる感情という点をクローズアップして考えてしまう。
 ここからネタバレで考察というか、俺なりの解釈というか。
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 最後の方のオダギリジョーのモノローグで、「自分が兄のすべてを奪ったというのは誰の目にも明らかだ」みたいな台詞が入った。たしかにそうだ。生まれつき恵まれたモテ造形にモテ職業であるフォトグラファーの才能、成功、そして性交。それが兄の想う女までかっさらっていたという奪いっぷり、殺人者の汚名を着せる形で裁判で塀の向こうに落とすという奪いっぷり。
 ……しかし、それじゃああまりに不公平じゃありませんか。俺が神様だったら、そんな世界は創らない。兄から弟への一撃があったはずだ。兄が弟から奪ったもの。
 そうだ、それは「自分には誇れるものが何一つないけれど、たった一つ誇れる」ものだった兄自身。それを弟から奪ってみせた。では、兄は弟に対して、何によってその復讐を果たそうと思ったのか。真木よう子をやられてしまったことではないはずだ。もしそれが決定打であれば、鎌をかけたシーンで何かリアクションしてもよかっただろう。
 むしろ、事件の直後のことだ。兄は弟が事件を目撃していたのを知っていたのか? それはないだろう。ただ、その後のことだ。兄が「俺が」と、自分が落としてしまったことを仄めかしているのに、オダギリジョーはどうしたか。ろくに事情も聴かず、兄が落としたことを前提として、事を処理しようとするではないか。あからさまに、事故として処理しようとしているではないか。ここがターニングポイントではなかったか。「自分は弟に寝取られた女を突き落とすような人間だと、弟に決めつけられている」と、そう考えても不思議はなかったのではないか。そしてこれが終盤の面会シーン、「最初から最後まで人間を疑っているような……」という、決裂シーンの台詞につながる。膣内に射出された精液について頭を下げる白々しさも、弟を追い詰める、いや、弟に自体をあえて投げて委ねているのだ。委ねて、やがて弟自身の手によって、弟の大切なものを破壊させるために……。
 だからラストシーン。あの後どうしたかというのはあえて描かれていないというところにつきるが、俺の想像するところでは、兄は甲府行きのバスに乗ったのだと思う。「おうちに帰るはずねえだろ」と思う。帰ったところで待っているのは呆けた父に、しけたガソリンスタンド、バカでデブの嫁と結婚して、クレーマーに頭を下げ続ける日々。真木よう子が「あんたやお母さんみたいに生きたくはない」とわかりにくい発音で言った、そこに帰るはずがない。フロントガラスを叩き割ったところで、それとの決別をしたのだ。カフェみたいな改築、some Bossa Nova、そんなものは嫌味にすぎない。今や、田舍に生きて土地と商売を受け継いだからといって得られるprofitなんてもはやないのだ。だから甲府行きのバスに乗って、甲府から電車に乗って、松ヶ根にでもノドの地へでも行けばいいさ。自由にさまよえばいいさ。
 じゃあ、あの笑顔の意味するところは? 兄は弟が弟のしたことを知ったことを知ったということであって、そこに赦しがある、橋の修復がある。その証であると思う。しかし、おうちには帰らない。俺はそう思う。
 ……という風に、やけに兄よりになって見てしまったのは、自分が兄弟で言えば兄の方だからでいって、さらに言えば女性にはモテない方なのであって、そういうことなのである。

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