結局Googleのストリートビューって、何の役に立つわけ?

何でも見れちゃう「ストリートビュー」 ドロボーの物色に「悪用の危険性」

http://www.j-cast.com/2008/08/06024765.html

 俺にはさっぱりわかんね。ストリートビューっていったい何がどう便利なわけ? 悪用以前に、何の用? 社会の、人の役に立つわけ? 地図見りゃだいたいわかんだろ、道なんてもんはさ。泥棒が悪用するかもとかいうけどよ、そんなに役立たねえだろ、これ。せいぜい、夏休みの学生さんの暇つぶしじゃねえの? 面白画像探したり、エロ画像探したりさ。だからさ、俺さ、ストリートビューが何の役に立つのか、皆目見当つかねえわけ。ストリートビューのどこがいいんだ、ただ一つ、俺の願望をちょっとばかし満たしてくれるんじゃねえかって点を除いて
 俺の願望とは何か。保存だ、保存、この世界の保存だ。OSX Leopardが搭載してるタイムマシーンみたいな保存だ。今過ぎ去ったこの瞬間の宇宙のすべてを、どっかにまるまるバックアップしておいてくれ。そういう願望だ。十年後や百年後に開いてくれ、見せてくれ、街並み、歩く人々のようす、あの坂の上に君、それを見上げる僕、入道雲、夏の思い出……。だから、Googleが映像データ取るだけ取って、その公開が十年後でも五十年後でもかまわない。ついこないだのアーカイブなんかに興味はねえんだ。さっぱりよくない。変わってしまったこの世なら、この目で見て失望すればいいのさ。世界のあらゆるものをアーカイブにしてくれ、パッケージングしてくれ、スイッチを押したら再生できるようにしておいてくれ。この下らない今や、どうしようもない明日よりも、過去だ、過去が大切なんだ、思い出の性感帯を刺激してくれ……。
 などと言っていると、だいたい主人公に「お前は逃げているだけだ! また新たな日が昇るから、人間は今日を生きるんだ!」とか説教されて殺されたりする悪役の俺なのだけれども、当然ビッグブラザーのごとき、ジュブナイルのごときGoogleの目を嫌がる人も少なくないだろう。やがてGoogleとその反対派による苛烈なる闘争の日々がはじまるなんてこと、俺にはわかってる。お前に言われんでもわかってる。
 たぶん、Googleカーもこのままこそこそと街中を徘徊するわけにはいかなくなるだろう。保存指定地域には全戸配布のビラとかを撒くことになるだろう。カーも、ゴミ収集車が音を出すような仕組みを入れるだろう。サーカス団来たるごたる明るいGoogleのテーマを流しながら、GoogleカーにGoogleサイクル、Googleメンが列をなして僕らの街にやってくるだろう。「みなさまのネットワーク社会を創造する、Google社です。アーカイブにご協力お願いします」……。
 しかし、そこに立ち向かうのがアンチ・グーグル・ゲリラだ。撮影に入ろうとするカーをジャミング、ハッキング。家を撮影したかと思えば、それは空き地に築かれたデコイ。もちろん、世界最強企業Googleはそんなものに負けはしない。Googleカーの中の人(脳にUSBとか刺さってる)が必死に解除して、街の姿を明らかにしていく、映像にしていく、音声を収録していく……。が、次の瞬間Googleカーの中の人(目にはミラーシェードのサングラス)が目にした物とは……、あらゆる家の壁、あらゆる建物の壁に浮かび上がる人間の顔。これではすべてにモザイクをかけざるをえない。何もビューできない。もう残された手段はない。今こそ機動せよ、Googleロボット……!
 ……なんていう世界に住みたいと思いますか? 俺は住みたい。だから俺はストリートビューを応援する。なんならGoogleマンに志願してもいい。Googleの脳天気なカラーのつなぎに身を包み、恥ずかしいヘルメットとカメラを頭の上にのっけて、『ビッグ・リボウスキ』のジョン・タトゥーロみたいな惨めさで戸別訪問してもいい。犬がくわえてきた何かを見るような目で俺をさげすんでくれ。そんな目で見ないでくれ。どっちなのかよくわからない。そんな老後が送りたいと思った。

Googleへの提言_______________

  • 全戸配達郵便での予告はやるべき。なんかうきうきするかも。宣伝とか変なアピールに使おうとするやつがいても、そのくらい許してやれ。知らずに世界に面白い何かを晒してしまうよりマシだ。
  • カーから音楽を流すのはぜひやってくれ。子供とか犬とか追いかけてくると思うけど、画像処理技術でなかったことにしてくれ。
  • やっぱりどうも人間がうつるのはマズイ。だけど、人がいないというのは面白くない。そこで、映画『スキャナー・ダークリー』のスクランブル・スーツみてえな加工をしたらどうか。