星野仙一は現代の牟田口廉也であるか

新井貴浩の真の腹は自身の日本代表選出の能否に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は『も早貴兄の選出を断念すべき時機である』と咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」
→「星野監督の面上にはなほ言はんと欲して言ひ得ざる何物かの存する印象ありしも予亦露骨に之を窮めんとはせずして別る」

 ……という妄想が頭に浮かんでしまった。次の記事を読んだからだ。

北京前に言って…新井「6月から折れてた」

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/08/28/01.html

 さらには、以下のようなやりとりも妄想できよう。
岩瀬仁紀の真の腹は自身の登板の能否に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は『も早貴兄の登板を断念すべき時機である』と咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」
→「星野監督の面上にはなほ言はんと欲して言ひ得ざる何物かの存する印象ありしも予亦露骨に之を窮めんとはせずして別る」
「G・G佐藤の真の腹は自身のレフト起用の能否に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は『も早貴兄の出場を断念すべき時機である』と咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」
→「星野監督の面上にはなほ言はんと欲して言ひ得ざる何物かの存する印象ありしも予亦露骨に之を窮めんとはせずして別る」

いや、これは違うかもしらん。コーチの立場というものもある。
大野豊の真の腹は投手起用に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は『も早岩瀬の登板を断念すべき時機である』と咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」

→「星野監督の面上にはなほ言はんと欲して言ひ得ざる何物かの存する印象ありしも予亦露骨に之を窮めんとはせずして別る」

 ……いや、これは星野ばかりを責めているわけではない。たとえば新井の件、記事にもあるとおり新井自身の判断が第一である。また、事前のメディカルチェックや、阪神のトレーナーとの連携といった問題もある。戦に望む体制の話でもある。ただ、どうも星野が自認するところの情の野球、上のような「わしは口には出さないが、できればわかってほしいなあ」、「星野さんは何か言いたそうだが、自分から辞退しにくいなあ」という、そのあたりの事情を想像する人は少なくないのではないか。
 もし、星野ジャパンに対する風当たりが、単なる敗北への批判以上の何かを含むとすれば、それは私や君の中にあるやもしれぬ、実に日本人的な「牟田口廉也的要素」を、かの監督、チームの中に敏感に感じ取っているのではないか。
 鈴木大拙は「安っぽい感傷性の東洋的なるものにいたっては、大いに排斥すべきだ。この点では、欧米式の合理的なるものを学びとらなくてはならぬ。それで感傷性を置き換えるべきである」と述べ、その上で分別で割り切れぬ「東洋的な見方」を示した。星野仙一の敗北が、いまだに我々が西洋的な合理主義、分別を十分に解せず、不必要な感傷性に溺れていることの現れやもしれぬ。言うまでもないことだが、分別が、合理が目指すべき最終点ではない。それが真理であるなどということではない。ただ、日本人にはまだ西洋的合理性から学ぶべきところがあるやもしらん、ということである。
 畢竟ずるに、WBCにおいて星野仙一に代表監督を任せるか否かは、日本国が滅びの感傷性に溺れ続け、一部の人間の情実や関係によって、多くのものを巻き添えにしてしまうか、あるいは日本人の持ちうる力を引き出すための、合理性以上の何かを引き出すための合理性を発揮できるかの分水嶺であるとも言える。この点に留意して成り行きを見ていきたい。
wikipedia:インパール作戦
wikipedia:牟田口廉也
 ……ちなみに、ネットを見ていると牟田口を思い出す人が以外に多い。さらに、父もそんなことをこぼしていたらしい。
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鈴木大拙

新編 東洋的な見方 (岩波文庫)

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日本的霊性 (岩波文庫)

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アメリカの野球博物館に高橋源一郎自ら納めに行き、受け取った職員から「私にはこの本に何が書かれているかわからないが、きっとすばらしいものだろう」と言われたとかなんとか、そんな話があったような気がする。これは素晴らしい野球について書かれた本だと思います。
優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

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