ロボトミー、ミー

 僕の慢性蕁麻疹というやつは、身体の中の免疫機能がむだにがんばりすぎてしまって、たいしたことのない何かに敏感に反応しているのだとか、何もないのに何かとかんちがいして反応しているのだとか、そういう話なのだろうと思う。それで僕は、そういう敏感な免疫たちを沈める薬を飲んで、うまいこと自分の機能をデチューンしているのだ。
 だとすれば、たとえば僕の心、打たれ弱い心だってデチューンして、過剰に反応する心の近衛兵たちを眠らせ、鞏固な鉄柵を取りのぞくというのも悪い話ではないように思える。頭の中で火花のように飛びちるマイナス思考を、眠り薬で眠らせるのも悪くないように思える。
 もしもそのために、たとえば僕の考えることが弱まって、眠ってしまったからといってなんだろう。たとえばそれで、僕の欲望が弱まってしまったからといってなんだろう。たとえばそれで、自分が傷つくことがないようになって、人を傷つけるのが平気になって、人を傷つけることにもへいちゃらになったからといってなんだろう。何のアイデアも言葉も出ないでくのぼうになってしまったからといってなんだろう。ものすごく単純な作業しかできない、ものすごい安い機械になってしまったからといってなんだろう。喜怒哀楽のあまりに大きく、支配的な怒と哀をフラットにするために、喜びと楽しみをトレードオフすることに何の問題があるだろう。もう僕にはこれっぽっちもやりたいことはないし、人生の望みなんてとうになくしてしまったのだし。
 だから言葉の上だけでなく、なんらかのやり方によって僕は僕をデチューンしていくつもりだし、もしそれで僕のよいところがあったとして、そこが失われることは構わない。欲は振り回すばかりで与えてくれないし、知性や感情は過剰な自己防衛と恐怖でバランスが狂っている。去勢された馬のように。もっと植物のように。おだやかになれますように。生が一個の生であって無心の生になりますように。