クマが先かハチミツが先か

goldhead2008-09-05

「クマはさほど珍しくないが、2度も入り込むとは。ハチミツ好きにもほどがある」

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080905ddm041040054000c.html

 ヘブライ語聖書にうたわれたカナンの地、乳と蜜のながれる約束の場所は富山県砺波市庄川町の民家の屋根裏にあったという話なのだけれども(探偵ナイトスクープにも似たような家があったので、どちらが本当かはやっかいな問題になりそうなのだけれども)、たしかにクマはハチミツ好きにもほどがあるといえる。
 吉村昭の『羆嵐』などを読めば、ひとたび人の肉の味をおぼえたヒグマは、もう人間しかおそわない、人肉好きにもほどがあるという存在になることがよくわかるわけだけれども、じっさいのところハチミツ好きにもほどがあるということなのかもしれない。
 となれば、たとえば山にわけいる登山者などは、いざというときのためにハチミツをたずさえておけばいいのかもしれない。いざクマに遭遇したら、ハチミツをデコイとして逃げ出せばいいのだ。だが、ちょっと待ってほしい、ハチミツのにおいにさそわれてクマが集まってきたらどうすればいいのだろうか。死んだふりをしたところで、それをたしかめるためにつついただけで人が死ぬというのがクマの実力であって、腕時計を盗むのに手首ごとぶった切る強盗よろしく、ハチミツを背負った上半身ごともっていかれてはちょっとこまる。
 毒を制すには毒を制すといった理論からいえば、やはりクマにはクマで対抗するのがいいのかもしれない。小熊のころからハチミツで手なずけておいたクマを連れて山に入ればいい。モンスターを連れて旅をするとなれば、なんとなくドラゴンクエストシリーズのようでもあって、若いひとたちも山歩きの趣味にめざめるかもしれない。
 しかしそうなると、登山者の連れたクマ同士のトラブルなども充分に考えられて、けんかになったり、急に交尾などをはじめられてしまっては、ハチミツでひきはなすのもむつかしそうだ。なかには闘犬のようにクマ同士で戦わせようなどというぶっそうなことをしようという不届きものもいるかもしれない。
 そうした場合、あまりクマの戦いを野放しにしてしまってはいけないので、ちゃんとしたルールのもと、動物愛護の精神に基づいた土俵が必要になってくると思う。しかし一度そういったものが制度化され、ショーアップされることによって、本来の意味をはなれて勝利至上主義といったものがはびこってくるというのは想像にかたくない。もっと強いクマを、ということで、どこか外国の非常に強まったクマを連れてきたり、あるいはシロクマなどを捕まえてくるような事態になる。そうなると、そういった外国のクマたちが、日本の文化などにうまく適応してくれるかどうかというところが問題となって、中にはハチミツのために養蜂場をおそうようなものが出てこないとも限らず、いたずらな排除や因習への固執はおもしろくないけれども、安易な自由化をすすめてはいけないのだと思う。