横浜トリエンナーレ2008を観に行きました

※注:以下は芸術に不案内で、予習もしなければ音声ガイドも聞いていない人間の感想ですので、ご了承ください。


 横浜トリエンナーレ2008、もしこれから行こうとか思ってる人がいるんなら、俺からのおすすめの見方は一つだけなわけ。朝一で「日本郵船海岸通倉庫」会場に行くべし。以上。あとは、そのまま中華街で飯食って帰ってもいいんじゃねえの? セックスしたけりゃ、石川町のラブホ街にでも行け。あれ? 他の会場は? まあせっかく金払ったのだから、行ってもいいんじゃね。ただ、海岸通の後か、あるいは他の日でいい。はっきり言って、「新港ピア」会場と「赤レンガ倉庫1号館」会場は行かなくてもいいんじゃねえの? と。フラフープ継ぎ接ぎしたやつもスルーしていいんじゃね? 近くのインフォメーションセンターには、「なんで大和ハウスなんだ?」って言っておけば十分。あ、三渓園は普通にスルーしちゃったんで、それについての判断はできないんだけれど。
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 というわけで、俺と連れはまず赤レンガ、そして新港ピアに行ったわけ。チケット一枚で二日入場できるわけなんだけれども、一日目のことね。それで、大いに失望して帰路についたというわけ。
 だいたい俺が「前回は高嶺格の『鹿児島エスペラント』を除いてあまりおもしろくなかったが、今思えばもっとお祭りのような雰囲気があってよかった。今回は映像作品ばかりで死んだようだ。開催費用が足りなかったんじゃないのか」などといい、同行者は前々回がいかにすばらしかったかを語る。おおよそ、金返せの気分に近い。「これは!」という作品もなければ、個人的に胸糞悪くても、現代アート知らずが知ってるような一応有名な名前(例:奈良美智)の作品もなく、前回気に入らなかった学園祭的な盛り上がりすらない。なんとも冷え切った、しょうもない催しという印象だったというわけ。予算もなく、準備も不十分じゃねえのかと思わせ。コンセプト(TIME CREVASSE?)もよくわからん。よかったことと言えば、前回プールの監視員よろしくうるさかった(失礼)見張り役がほとんどじっとしていて、作品の撮影なども「ここまでフリーでいいのか?」というくらい自由なことくらい。ともかく、ちょっと損したかもしれないって、そればかりなわけ。
 ……と、断るべくもないけれど、俺は芸術の修練を受けたこともなければ、美学のちゃんとした教育を受けたわけでもないし、小さいころお絵かき教室に通っていたくらいの高卒なわけ。いや、高卒は関係ねえだろ。いや、もう、もちろん、だいたい、現代アートをどう見ていいかなどわかりはしない。「すごい」/「なんでもない」の二択という、これ以上ない単純回路でできあがってるのみであってね、そんな人間にとっては実にしょっぱい代物だった。造詣の深い人にとってどうなのかは想像があずかり知らぬ。
 で、とくに映像作品の見方がわからん。ずーっとエンドレスで垂れ流していて、途中から見始めて、退屈でわけのわからん、たいして面白くもないのに飽きて(商業映像やそこらのプロモーションビデオの方がずっと刺激的では?)、それで、「ああ、ここから見たっけ」などと言って席を立って、それでいいのかと。せめて、はじまりと終わりをはっきりさせて、席入れ替えで見せるべきじゃねえの、とか。いや、もちろん、はなからエンドレス前提の作りだったりするのかもしれねえけどよ。
 それで、この日印象に残ったのは、グラハムって作品で、たぶんグラハムってオッサンがずっと映ってるんだよな。もう、グラハム見放題。しかも、だいたい終わるところで入ったので、どうなるかもわかっていて、要するにグラハム見るしかないのだけれど、しかし同行者を見れば真面目に見ているので、ああグラハム見るかとなるわけじゃん。それで俺もグラハムに注目していて、しばらくしてふと横見ると、なんか寝てるの。それで起こして出て聞いてみれば、俺がグラハムを熱心に見ているから、黙ってつきあおうと思ったんだって。グラハムめ。でも、正直この日思い出せるのはグラハムくらい。グラハム。
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←ふだん我々が何気なく流しているトイレの水の貴重さを再認識させてくれる作品。
 して、二日目。二日目といっても翌週なのだけれども、まあともかく朝一で「日本郵船海岸通倉庫」へ。わざわざ朝早く出向いたのはわけがあって、初日の帰りにちょっと様子を覗いてみたわけ。そしたら、この作品は現在待ち時間三十分です、一時間です、とかやってんの。それで、そんなんはどんなすばらしい作品でもパスしたくなること必然だから、一気に片づけようという判断。これ成功。
 まず大行列を見た勅使河原三郎の作品。これが、もうほとんど独り占め。ずーっと座ってぽけーっと見てりゃ、まあなんか贅沢な気持ちになるってもんよ。変な音がしてて、割れガラス見てるだけだけどな。いいよ割れガラス独り占め。
 それで次に15禁コーナー、エロビデオコーナーのような仕切り中に、ヘルマン・ニッチェの偽スナッフビデオコーナー。これも別に独り占めしたくはないが、しばらく我々のみ。それでなんとなく次に入ってくる人の反応見たくて待ってたら、女の人一人入ってきてすぐに出ていったりして、そんなのが面白かったりするわけ。ここはまあ、だいたい血まみれで、臓物盛りだくさんで、そういえばソフト・オン・デマンドの不人気作品総集編DVDの中に、血まみれセックスってのがあったっけって思い出した(なんで俺そんなの持ってるの? ちなみに、血液マニアの男女が輸血パックから生血浴びながらセックスするというものでした。輸血血液が足りないというのに)。
 2F。入口に、Youtubeに投稿したら面白がられそうなビデオ。しかしこの階、ここで大きなスペースをとっていたジョーン・ジョナス。これはかなりお気に入り。とくに歌のところがすばらしいので、うろうろしながら待ってみてください。なんというか、映像とオブジェ、絵の組み合わせなんだけれども、この統一感というか、そのあたりは居心地がいい。コクトー・ツインズのラスベガスのあの歌みてえな。
←みんなこの作品に気づいた?
 3F。モニタの中でオノ・ヨーコがちょきちょき服を切られていた。そういう観客参加型の記録映像。今年のものと、1965年のもの。とても長いので、ほかを見つつ、たまに帰って剥かれ具合を確かめるというような形。見ていてわかったのは、女の方が容赦ない面積を持っていくが、男の方が控え目だということ。「お前、乳首んところつまんで、ちょきんとやれ。エロビデオだとそういうものだぞ」などと思う(あるいは『時計じかけのオレンジ』)。もっとも、自分がやれといわれたら躊躇するだろう。ちなみに、そのモニタの対面に、黒人のオッサンの体にテープを貼りつけたのを客がひっぺがすというオマージュ的作品が流れているのだが、もうそちらは二重の意味で不人気でうんざりさせられるような気配が漂っていて、ヨーコさんばっかりじゃなくて、みんなちょっとは振り返ってあげるべきだと思った。
 あとは、また映像、エロコーナーの15禁。40分にわたる長いものだけれども、なんとなく終わった瞬間に入ったので、結局すべて見たかもしれない。マシュー・バーニーというのか。犬頭神のしょうもないアイディアは必見。あとは、オマンコ丸出しでブリッジ放尿のところがあって、その二人(二人もかよ!)ともすげえ美しい体つきで、これはなかなかエロビデオでは見られないように思えた。なんでエロビデオばっかり思い出す?
 それとこの階、「銅鑼にじゃがいもを投げてぶつける」映像作品が流れてて、たまに銅鑼の鳴る音がして、作者の名前がグラハムだったので、てめー、昨日のグラハムか?(たぶん違う)、うるせーグラハム、とか思った。グラハムにはじまってグラハムに終わった。
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 というわけで、最後にそれなりのボリューム、ラインナップを揃えた方を見たので、何となく満足気味で終えられた。逆だったら、不満が大きかったかもしれない。もっとも、個人的には前回の『鹿児島エスペラント』のように、何年経ってももう一度見たいと思わせるようなものはなく、それは残念だった。あと、グッズを売るくらいなら草間彌生作品の一つや二つは置いてほしいと思った。
 うーんと、それと、感想としては、まあなんというか、西洋人の息苦しさというか、閉塞感というか、窒息感というか、そういうテイストのものが多かった。お前らまだなんだ、キリスト教に妙な抑圧されてんのかっていう、そのあたりから面白いものも出てくるのかもしらんが、今回はそういうのが多く目について、少し油濃いような、グロいような後味が残った。それはここのところ、俺が仏教っぽいものに興味をもって、抹香くさくなっているかもしれないんだけれども。
関連______________________

 現代美術の暗示する方向はどうもネガティヴだね。人間の魂の向上や進化には一切興味がないんだ。理論や思想が好きなんだ。天上界が期待しているものと反対のものを認めているんだから、宇宙存在だって悲しんでいるはずだよ。