『天使』佐藤亜紀

天使 (文春文庫)
 散らかり始めて止まらぬ自分の部屋。ひっくり返した文庫本の山から出てきて、ちょっと読み始めたら止まらず、一気に読んでしまった。佐藤亜紀の小説はこれで二作品目になる。ほかには『澁澤龍彦初期小説集 (河出文庫)』の解説文を読んだくらいだ。

 さて、これが以前に書いた感想文。この感想文を読み返すに、どれだけ激賞しているんだというくらい激賞している。そうだ、たしかに面白かった。しかし、正直言ってどのような内容であったか思い出せない。
 だが、それでいいのだ。自分の中でどう線引きされているかわからないのだけれど、最高に面白い体験をさせてくれた本の中の半分くらいは、その後に内容がスコーンと抜けてしまうものなのだ。もう一度読むべきだと脳が判断して、勝手にキャッシュを捨ててしまっているのかもしれない。
 さて、『天使』である。今度は1908年ごろ、帝政末期のウィーン、サラエヴォ事件、第一次世界大戦……、そこで繰り広げられる、「感覚」者たちの話。そうだ、「感覚」だ。これをまたサイキックや超能力と言い換えてもいいだろう。しかしながら、この描かれ方、設定がすばらしい。描写がいい。解説文でも取りあげられていたが、主人公が感覚をおし拡げて小鳥をつかむシーンなど、明恵上人が家の裏の鳥の巣の雛の蛇に狙われるのを遠くから察知したという故事を思わせるかのごとくである。こんな本を読んでいても抹香臭い俺の病は膏肓に入るかのごとくである。ともかく、ありきたりな「超能力バトル」には陥っていない、しかしSFとしてスリリング、この細い一線をひいてみせた。それがすごい。
 で、面白かったの? 面白かった。ただ、『1809』の方が面白かった、とはいえる。そぎ落とされたカリカリにチューンされた文体、だが、それゆえにノッキングしているように感じる、そんなところがあった。どんな感じかは、俺の頭を開いて攫ってくれればわかる。また、その時代の空気が文体の隅々まで、出てくる人間の隅々まで染み渡って、これは逃げおおせられねえなっていう、そこまでの重みはなかった。そこが『1809』ほどではない、そう思った。覚えていないのに、俺は何と比べているんだろう?
 とはいえ、すごく高いところにある『1809』と比べているだけのことであって、『天使』、読んでよかった。でも、終盤にいたって、ここからどう着地させるのだろうか、破裂させるのだろうか、どうするのだろうかと思ったら、「続編へ」的に感じる終わりかたでもあって、これは続編的なものも読まねばならん、そういうところであった。
 あと、ちょっと出てくる社会主義者たちのコミュニティ、人物、そのあたりがよかった。主人公がそのまま革命に身を投じてくれるような展開があってもよかったと思った。それと、撃たれたときは、乗っ取るのかと思った。以上。