ここのところのアニメ視聴メモ

 ここのところもアニメを観ていることは観ているが、録画しておいたものを二週・三週まとめて観るかたちであって、毎週感想を書くようなことはできないし、そもそも毎話毎話の感想を書けるほどアニメについてくわしくもない。しかしながら読書感想文の宿題を書くためにアニメを観るわけでもなく薄ぼんやりと楽しんでおればよいのである。
 ただし『喰霊-零-』が薄ぼんやりと楽しんでおられる展開でなくなってきたのが残念である。前に書いたように、「もう一週間の間で生きていて楽しいのは『かんなぎ』と『喰霊-零-』(で神楽と黄泉がいちゃいちゃしとるのを)見とるときだけでありますという自分であります」という具合だったのだけれども、もういちゃいちゃしてくれなさそうなのである。ついに話が一話だったか二話だったかに戻り、「私を姉と呼ぶな」に立ち帰ってしまい残念至極なのである。しかし、あれはなんだろう、黄泉さんが失踪してからしばらく後の話かと思っていたが、直後であったということなのだなあ。
 それにしても、108箇所に傷を受けて体という体が動かず、片目と声を失うなどというありさまは酷いものであって、なんとなく『無限の住人』などを思い出した。ああ、『無限の住人』、まだ自分がアフタヌーンを買っていたころ、もはやなんかぐだぐだといってはなんだけれども、ごちゃごちゃしてよくわからなくなっていたのだけれども、まだ連載も続いているし、アニメ化などもされているのだなあ。いずれ、完結したら一気読みしたいと思う次第である。
 でもって、黄泉への仕打ちは沙村広明の人でなしの恋みてえで(あれ? 『無限の住人』じゃねえの?)、はっきり言って俺はあんまりこういうの苦手なんだけれども、苦手感を感じさせてくれるくらいの感じというのは、ドラマとしていい感じを醸し出しているのかもしれないが、だったらもっと悲惨な、絶望の淵に、叩き込んで、というところもあったろうか。なかなかドラマでは難しいだろうか。
 それにしても、あの体が動かず、もうどうしようもないというところの、その絶望というところ。それがもともと持っていたどす黒い感情に呼応するとか、なんとなく『ベルセルク』などを思い出した。ああ、『ベルセルク』、まだ自分がいろいろの漫画を買っていたころ、もはやなんかぐだぐだといってはなんだけれども、ごちゃごちゃしてよくわからなくなっていたのだけれども、まだ連載続いているのだなあ。いずれ、完結したら一気読みしたいと思う次第である。
 まあ、そんなわけで、ともかくこれからミニスカートの女子高生が日本刀を振り回したりするシーンは多くなるのだろうけれども、ミニスカートの女子高生同士がいちゃいちゃするシーンは少なくなるかというと残念な次第である(なぜか夜のプールが好きなあの二人は『RD』に出てたミナモの同級生だよね? 違うか)。あと、こういうのを観て連想されるものの古さに、自分の時代とのギャップを感じずにはおられない。いや、時代というより、引き出しの少なささか。しかし、それゆえに新しい気持ちで臨める、というメリットがあると信じよう。
 あと、もうひとつの人生の癒しであるところの『かんなぎ』か。なにか原作の方で残念そうな話題がちらほらあるようだけれども、なにやら残念であるところであるのは、『かんなぎ』が人生の癒しであるからにほかならない。このアニメもいずれ終わるし、原作の漫画も終わる。人生の究極の癒しはどこにあるのだろうか。夢のスーパー尻毛屋に行けば買えるのだろうか、よくわからない。