僕の中で算数が死んだ日の話


 ↓以下のお話などを読んで、自分の昔話をしたくなりましたのでします。

……
 僕が児童学生時分の勉強の話をするとなると、たった二つに集約できる。国語自慢と算数自虐だ。
 僕はともかく勝手に国語ができたし、知識が要求される古文や漢文は別として、いったい現代文の読解の何がわからないのかわからない、というくらいの嫌な国語野郎であった。大学入試の小論文など、字数制限いっぱいに使って「完全に出題文を論破した」などとつけ上がって意気揚々と帰宅したくらいだ。あれは今でもなかなかいいできだったと思っている。
 ……と、その自慢とバーターで、ともかく算数ができなかった。算数と絶望という漢字はよく似ている。なんでそんなにわからなかったのかわからないくらいわからなかった。算数は涙のしょっぱい味がする。そこでノスタルジー宇宙にダイブして、算数の古傷をめくっていくと、一つのエピソードに行き当たる。
 小学校二年生だったか三年生だったか四年生だったか。ある一つの問題について、班ごとに分かれて相談し、答えを出せ、発表しろ、という授業があった。問題は次のようなものであった。「二十四人の生徒がいる。二つのグループに分けて、教室の掃除と校庭の掃除をする。そのさい、校庭を掃除する人数は、教室を掃除する人数の二倍にしたい。いかように計算すればよろしいか」と。
 さあ、僕はさっぱりわからなかった。途方もなくわからなかった。わからなくて悔しいと思うまでもなく、わからなかった。しょうもないので、同じ班の算数できそうな子が頑張るのをぼんやり見ていたと思う。彼は、わけもわからぬままに割り算を繰り返し、「それはバラバラ殺人的勘定か?」などという結果を導き出していたように思う。
 結果の発表である。先に我が班の彼がよくわからないままに発表する。まだ答えは教えてくれない。続いて、別の班が発表する。おかっぱ頭のT君が発表する。いわく、「まず三つに割る。三つに割ったものの一つが教室内の掃除であり、残りの二つ分が校庭の掃除である。これで校庭の掃除は二倍になるのである。この場合は八人と十六人である」云々。
 いや、これには驚いた。目から鱗が落ちた。これは正しいと思った。この上もなく正しくて、すばらしい考え方だと思った。真理のような何かに触れたと思った。人生で受けてきた授業の中で、これほどすごいと思ったことはなかった。
 大げさに言っているのではない。大げさでないからこそ、こんな細かいエピソードを覚えている。僕が覚えている小学校時分の記憶など、ほんの少し数えるほどだ。覚えてる顔と名前など、ほんの数人だ。ちなみに、算数的バラバラ殺人をしたのはS君で、六年のときに転校していったのだけれど、彼を覚えているのはこの日同じ班だったからという理由だけだ。
 それはともかく、この驚くべき絶対真理に触れた俺はどう感じたか。「算数とはなんと面白いものだろう!」と思ったのか。否も否、否もいいところの否、否である。「ああ、俺、これ、無理だわ」。完全にあきらめた。失望というか絶望というか、「ああ、俺はだめだ、頭が悪い。こんなに明解ですばらしいやり方を思いつけなかった。すごく単純なのに確実に正しい。俺はいくら長時間考えてもこの考え方を導き出すことは無理だったろう」と。もちろん、T君が公文式だとか進研ゼミだとかで、先回りしてこの冴えた計算のやり方を知っていたのかもしれない。そのときにだって、そう思わなかったわけではない。しかし僕はもう、この算数のうつくしいやり方に打ちのめされて、「いいや、俺はパス」と思ったのだ。
 僕は僕の「子供の絵」が死んだ幼稚園での一日を覚えているけれど、僕の中の算数の可能性が死んだこの日の授業も忘れない。
 そして、それまでも気のりしなかった算数に、完全に白旗をあげはじめた。もちろん、「やる気がなくなったからできなかった」などとイクスキューズするつもりはない。ともかくできなかったのだ。涙の意味するところは比喩ではない。恥を忍んで言うが、高校になってまで数学の宿題を母親に手伝ってもらっていたくらいだ。いいや、あんなものできる方がおかしいのだ。しかし、いまだに少し不思議なのは、ついでに理科全般も苦手だったことだ。もちろん、物理みたいに計算の必要なものもあるけれど、ある程度「覚える」という意味で社会と変わらんような面もあるでしょうに、ね。
 というわけで、僕の算数できない自慢、数学できない自慢(あれ、自慢だったっけ?)は尽きるところがない。もう逆にふんぞりかえるくらいじゃねえと、やってらんねえよってくらいのできないっぷりだった。150点満点で5点級。だいたい、進学の進路も算数からの転進、というのがメーンテーマだった。中学受験などというプチ・ブルなことをしたのも、ア・テストを考えてのことだった(アテストって馬いたよね? いや、まだ現役バリバリだった)。中学受験であれば国語・算数・理科・社会で、算数と理科が死ぬ。死ぬ率は50%だ。ところが、ア・テストとなると、英語は未知数ながら、数学・理科・家庭科・体育・音楽(音楽のできなさについても語りたいところはやまほどある)などで死ぬ。国語と社会では救いきれない。そういう判断があった。そこで失敗するとやばい神奈川県の底辺校送り。で、やがて大学受験ともなると、小論文・英語(辞書持ち込み可)・世界史などという、国語力一本(辞書持ち込み可の英語って国語みてえなもんだろ?……というあたりで、自分の英語は英検準二級、受験英語レベルから一歩も出ないと思う。でも、エロ画像とかはうまく探せるはず)みたいなニッチを突かねばならなかったくらいだ。
 でも、算数できたらいいなと思う。数学できたらいいなと思う。あれらができたら、どれだけ人生に幅ができただろう。あれらの人々の神に祝福されているのをうらやまずにはおれない。数学などができれば、いろいろのメカニカルな分野だとか、プログラミングな分野だとか、そういった実用的で、役に立ち、なおかつ曖昧模糊なものを形にできるような、そんな仕事だってできたんじゃないのか。というか、職に、職に、職に困らないのではないだろうか。ここらあたりは、自分の肉体労働に向かぬ非力さに抱くコンプレックスに近いところがあるかもしれない。ともかく、理数系が社会で評価されていないだとかそういう話は、社会のピラミッドの上の上の方にはあるのかもしれず、ここらあたりの底辺の自分からすると、文系なんていうのは「何もできない人」にすぎないように思えてならない。この科学技術生産社会において、労働者として自分が何に寄与できるかというと、何もないという実感がある。今はたまたまおまんまにありつけているけれども、それがどうなるかわからない。ただそればかり恐ろしく、やはりもう少し身長と腕力があれば、などと思わずにはおれない(あれ、算数は?)。
 まあ、こういうのも隣の芝生は青いということかもしれない。しかし、実際に青く輝く芝はそこかしこにあって、俺の芝は実際に枯死しているのだもの。そんな土壌からは、すっぱい葡萄さえ実らないんだもの。まったく、この身三つに割って二つ働き一つ学ぶ、土日は休むそんな人生はどうやったら送れたものだろうか。たぶん、努力や集中力とかいったものが絡んでくるが、それはまた別の話、と。

追記:負けず嫌いというのはものすごく正しすぎます。「負けん気が強い」ではなく「負けず嫌い」。食わず嫌いの方の負けず嫌いで、まず勝負から逃げるというタイプです。

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