だからわたしの中の小学生のしゃれこうべは泣きつづけることをやめない

たとえば体育や音楽でずば抜けた能力をもつ場合、その子は胸を張っていられる。
でも、「お勉強」の教科に秀でている場合、その子はそれを無邪気に誇りに思うことはできないばかりか、後ろめたいことのようにすら思うことを強制させられる。
この非対称性は、なんなのだろう?
どうにも不思議だ。
なぜ、かけっこが速くてもいじめられないのに、勉強ができるといじめられるのだろう?

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1

 こちらの記事を読んで、またしくしくとわたしの中の小学生のしゃれこうべが涙を流すのでした。わたしは小学生のころ、どれだけこの思いに強くとらわれていたかわかりません。あと、はじめにことわっておきますが、わたしは高卒ですので、大卒、博士号クラスの人間が直面する高度な反知性主義(?)についてはいっさい存じ上げません。ただ、小学生のわたしがしくしく泣くのです。わたしもかつて日記にこんなことを書きました。

体力のある子供ほど、「やればできる」と前向きに考えている─。横浜市教育委員会が、市内の二小学校の児童を対象に、体力と生活実態の関係を調査したところ、そんな結果が出た。

 しかし、小学生の体力なんてのは九十九%くらい持って生まれた素質じゃないのか? 小学校の頃なんてのは、生まれついての体格差が物を言う世界だろう。そしてそれは、二月生の遅生まれで、尚かつ低身長の俺が実感してきた世界だ。そしてその残酷な世界で、何をどう前向きに考えればいいのか。少なくとも、俺の居た日教組小学校は体力や運動については上の記事みたいな力の入れようだったが、勉強については横ならび尊重で、まともなテストや通信簿も無かった。全ては体育会の世界だった。俺の、ものすごいルサンチマン

2005-06-21 - 関内関外日記(跡地)

中韓では「勉強ができる生徒」を志向する傾向が強いのに対し、日本の高校生が最もなりたいと思うのは「クラスの人気者」。もっぱら漫画や携帯電話に関心が向けられているという傾向も表れており、“勉強離れ”が際だつ結果となっている。

 これは最近の高校生に限った話なんだろか? よくわからない。俺は七十年代終わりの生まれだけれど、「成績が良くなること」にはマイナスイメージがつきまとっていたように思える。
 それは俺が日教組強めの公立小学校に通っていたからだろか。彼らは学力における差が顕わになることを極端に恐れていたように思う。一方で、勉強以外の部分、体育や音楽や図工を競争させるのには何の疑問も持っていなかった(id:goldhead:20050621#p4)。少なくとも俺が実感した公立学校のイメージとはそんなものだった。
 しかし、公立学校ばかりだろか。やはりガリ勉=ダサい、という印象は根強いように思われる。ドラえもん出来杉くんだって、スポーツ万能で性格もいい、という付加価値によって、ようやくガリ勉のマイナスからプラスに引き上げられている。一見変な話だが、俺はそう思っている。たとえば勉三さんを見てみよう。……いや、悲しいかな勉三さんはあまり勉強ができないのだったナリ。じゃあ、キテレツはどうなのか。いや、わからん。

2006-03-02 - 関内関外日記(跡地)

 わたしは体育の苦手な子でした。運動音痴、ということではないと思います。草野球、ソフトボールくらいなら、人なみていどにはこなせました。他の人が捕球できないというので、キャッチャーをやったこともある。ただ、ともかくチビで、非力なのでした。50m走がおそい。わたしの小学校だけの話かどうかわかりませんが、人間の基準、モテる男の子の基準というと、だいたい50m走がすべてという世界でした。勉強など、できるだけ損でした。脳味噌が半分になってもいいから、もっと背が伸びて、あしが速くなればいいのにと思っていました。ともかく、体育や音楽は評価されるのに、勉強というものは評価されない、その世界がいやでいやでしょうがなかった(ちなみに、上の日記で「日教組」を敵視しているのは、こういった風潮の根源が彼ら教師ではないのか、と小学生のころから思っていたからです。思想やそんなの関係なくて、ともかく自分の小学校のころの体験に根ざしている。名指し方が間違っているかもしれない。ひょっとすると、もっと大きな背景があるのかもしれない)。

 などと書くと、わたしが元記事の方のように、勉強(学ぶこと)に夢中だった少年のように思われるかもしれませんが、それもまったく違うのです。わたしは、ただたまたま大きくうまれついた子が、その時点でとくべつ脚が速かったというていどに、ただたまたまうまれついた性質のみによって、そこそこ勉強ができた(=テストでよい点をとる)、というのにすぎません。ともかく学習がきらいだった。努力がきらいだった。努力が苦手だった。努力できない子だった。そして、努力できないまま大人になった。そういうしだいです。
 さらには、やはりわたしは傷つきたくなかった。「努力したのに勝てない」というところに落ちたくなかった。「努力しないから負ける」というイクスキューズを残しておきたかった。
 たとえば、わたしはそういった小学校の世界が中学までつづくのをおそれ、中学受験に逃げたわけですが、そのための塾の世界のいかにすばらしかったことか。テストの成績で席順が決まり、クラスが決まる。小学校の先生はそういったことを残酷だというけれども、なぜあなたがたは体育でそれをやって平気な顔をしているのか。徒競走で手をつないでゴールさせろとはいわない。ただ、テストでもおなじことをやってください、ということです。まあともかく、中学受験予備校のしくみ、通う生徒の意識、そして講師のプロ意識にひどく感心したものでした。
 ただ、その世界で一つでも上のクラスを目指そうとか、そういう気持ちがおこらなかった。上の上の方には、自分にとっては想像のつかない勉強のモンスターエンジンを持った連中がいたのです。「あ、これはかなわん」と直感します。ただでさえ努力がきらいで、ポケーッと口あけて漫画を読むかファミコンの画面に見入るのが好きな自分(今でもです)にとって、その直感を疑ってまで努力することなどないのです。
 というわけで、今のわたしはごらんの有様だよということになる。自分のたまたまの得意分野が正当に評価されないことへのルサンチマンをいだきつつ、かといって得意分野が評価される世界でも、勝負する前に不戦敗を選んだというポーズを取って逃げて、逃げて、逃げて、ごらんの有様だ。
 ただ、なんというか、たとえば人生のあの場面でこんな体験があったら、とか、あんな出会いがあったなら、という悔いはありません。べつに、自己責任の自虐自慰をしているわけでもなく、どうにも、このわたしはもうどうしようもないわたしだと、その自覚があるのです。「こんなはずでは俺の人生」と思わなかったわけでもないし、「今に見ていろ」と思わなかったわけでもない。ただ、いまふり返ると、そういった思いを抱く自分を、ひどく冷めた目で見る自分がいたのです。「どうせわかっているんだろう? おまえはたいした人間じゃないし、人並みの能力もないのだ。まず土俵に登るのがいやなんだろう?」とささやく自分が。
 それでいま、その自分を見つけて、さあどうしようというというと、まあポケーッと口開けてテレビでも見るくらいしかないのですが、わたしは今落ちついているし、落ちついていることがわるくないと思うのでした。おしまい。

関連______________________

 ……「勉強ができた方」といっても、算数はごらんのありさまです。ただ、小学校の算数は実のところどうにでもなった。ただ、級友の前では必要以上に「算数のできない子」を演じていた。じっさいうっかりミスのかたまりではあったけれども、好きな子の前で九九をまちがったふりをして、あえて隙をつくるくらいのことはした。そういうところの性格なども、人に嫌われやすいところがあると思います。それはまた、別の話、と。

 ……この場合の試験は、入試でなく日常の試験のこと。

 ……小学校のときのカルト行事について。