飯島愛の死を契機に、エロビデオについてあらためて考えたい

 ……と、思っていたのだけれど、デヴィ夫人のブログを見ていろいろ吹っ飛んでしまった。

昨日夕方、愛ちゃんの訃報をきいて、
深い悲しみに陥りました。
そして、後悔の念にかられました。
何でもっと側にいて、話し相手に
なってあげられなかったのだろうか? と・・・

飯島愛さんの死 | デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba

 この書き出しは普通なのだけれど、その後の展開には呆気にとられた。不謹慎と言われてもしかたないが、カイヤのくだりは手を叩いて大笑いした。これはおそろしい爆弾だ。デヴィ夫人のひととなりやブログへの取り組み方などはよく知らないが、そう思った。なんというか、邪気より怖い無邪気があると、そういう思いを抱いた。デヴィ夫人が属していたような社会の人々ならではのものなのか、夫人自身の性格なのかわからないが……。もちろん、邪気でも無邪気でもなく狙いがあるのかもしれないが、どうにもよくわからない。なんというか、強烈なワールドに迷い込んでしまったような気がした。
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 が、やはり考えるか、エロビデオ。いや、考えようかという考えが浮かんだということについて書き留めようか。エロビデオってなんだ、ポルノってなんだ、どうなんだ。べつに飯島愛がAVによって精神をむしばまれ、今回の死につながった。AVは女性の人権を踏みにじるけしからん搾取だ云々、というところではない。いや、というところに行きつくのかもしれないが、今、そう思っているわけではない。予感としては、そういう風に捉えられる(捉えるべき)ところと、そういう括りではどうしようもないところの、その幅がある。あまりにも大きい。そんな風に。そして、その幅の向こう側の、どうしようもないところの、どうしようもない人間の業ゆえに、エロメディアはありつづけるし、またそれを抱え込んでいけるというくらいに、人間に対して楽観する、そんな予感がある。でも、その予感通りだったり、裏切られたりと、そういうこともあるだろう。何か読んだりしていくうちに。え、何を読むんだ? そっからはじめなければ。とりあえず、高橋源一郎の『あ・だ・る・と』でも読み返すか。
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