山内一弘氏の死に思う、かっこいい名前の残し方

「シュート打ちの名人」山内一弘氏が死去

http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20090205-457606.html

 世の中、いろいろのことで名の知られる人、業績の知られる人、死んだら新聞記事になる人というのがいまして、たとえば訃報というものに載る人は、世間全体から見たらほんのひとにぎりなのでしょうが、それであっても、そこに簡潔に記される人生というものは、人生で名を残したことがらというものは、千差万別といっていいでしょう。
 たとえば、この山内一弘氏なんですが、まあスポーツ紙とはいえ、見出しに、一番に目立つところに「シュート打ちの名人」と出る、これはなんというか、実にかっこいい、そう思わずにはおられませんでした。
 もちろん、山内氏は、名選手であり、コーチであり、監督であり、野球殿堂入りを果たしている、名野球人なので、いろいろの実績やエピソード、あるいは他の異名を挙げていけば、それはもういろいろの肩書きというか、そういうものがついてくる。ついてくるのに、あえて「シュート打ちの名人」と、こう見出しを出してくる、粋なスポーツ紙もある、そのあたりに、なんというか「いいなあ」という思わずにはいられません。
 たとえば、人間の業績で、「政治で世界平和に貢献」や「新薬の開発でたくさんの人の命を救った」というのも立派です、立派に違いありません。ですが、そういったものと比べても「シュート打ちの名人」というのは、少なくとも私の中ではひけをとらない。言うまでもないことですが、私は山内氏の現役時代も、あるいは監督時代すら知りません。野球について書かれた書物の中の名前だ。それなのに、なぜだかわからないが、こちらの写真などを見ては、内角をえぐるシュートをうまくさばき、「さすが山内」とファンを唸らせる、その光景を思い浮かべてしまう。シュート打ちで名を残す。人間として、それほどかっこいいことがあるのか、そう思ってしまう。
 ああ、だからこそ彼らはスターなのだ。日本プロ野球というのは、そういう光のあたる場所なのだ。そう考えてみると、野球に興味を失いかけている自分は、今現役の選手たち、あるいは私が現役を覚えている選手たちを、はたして後世に、その輝かしい個性を語りつげるのかどうか、そのようなことを考えずにはおられないのでした。おしまい。