アメトーーク!でムーディ勝山を見ること


 「虚を突かれた」。そう思った。「まさか」ではないのだ。虚なのだ。空といってもよい。まさか、ということは、「それはないだろう」という、ある種の予断があるということだ。それすらないのだ。それすらない、まったくの無のところから、パッとムーディー勝山が立ち現れたのだ。まさしく、ムーディ勝山は、完全に私の中の虚になっていたのだ。こないだ、朝のテレビ東京で鉄拳を見たとき、まったく同じ感情にとらわれたのだが、なんとも、おそろしいお笑い芸人の世界のこと。テレビをつければ毎度映っている、あの顔が、アッという間に、虚に落ちこんでいる。落ち込んでいることすら、忘れられる。それがまた立ち現れるとき、私は人間の人と人の間の深淵、無を見ることになる。その深淵を潜り抜けてきた有吉弘行がある種の境地で、完全に笑いを逸らさないのは、ほとんど必然といっていい。ヒゲを剃ったら、完全に認識不可能になる勝山慎司に、そのときが訪れるかはわからん。わからんが、また来年、アメトーークで、俺の虚を突く、そんな芸人が現れる、それは確信といえる。お笑い芸人たちに幸あらんことを。一発屋も二発屋も不発弾も、みな幸あらんことを……。