栄光学園の思い出

 第三十一回気象予報士試験の結果が六日、発表され、栄光学園中学校鎌倉市)一年の山崎一哉君=横浜市港南区=が、過去最年少の十三歳七カ月で合格した。合格率6・3%の狭き門を見事突破し、これまでの十四歳一カ月の記録を五年ぶりに更新した。

カナロコ|神奈川新聞ニュース

 この話題、上で書いたばかりの「足もとの自然」に通じるところだが、まったく関係ない「栄光学園」に食いついてみる。もちろん、俺は「栄光学園」出のエリートなわけではない。もっともっと、さらにもっと下の方のレベルだった、俺は。ただ、大船の日能研に通った元中学受験組、その名前の威光については重々知っているのだ。
 で、なんだろう、「栄光学園」だぜ。その嘘みたいな、フィクションみたいな名前、なんか坂の上の方にあるらしい、その坂は「栄光坂」と呼ばれているらしいという、わけのわからない神秘性。ときおり大船の駅でみかける、上下紺のダサいような、それでも「栄光生」というギラギラさを秘めているような、それでいて、中身の方はあんまりあか抜けていない秀才というような、ああ、栄光、栄光、栄光学園ここにあり。今はどうか知らないが、俺のころの中高一貫男子校の御三家というと、麻布・開成・栄光であって(さらに選抜の方法のせいか、偏差値的に筑駒があって、西に灘とラ・サールというイメージ)、やはり栄光には地元感があったというか。でも、その三校の中では、一番堅物という印象であって、変態的に自由なのが麻布というような噂であった。
 それでまあともかく、なんかいまだに、受験からもう二十年くらい経つのに、なんかまだ栄光の制服を見ると、「おおっ」と、あの、なんというか、塾で接した、栄光軽く合格するレベルの、あの秀才の風を思い出して、ちょっとピリッとするのだ。なんか観音様の目がぴかっと後ろで光ってるような気がするのだ。まったく、なんだろうね。