google:コマーさる君 不快
……こんな検索で見に来られた人がいるようです。コマーさる君、不快ですか? 最近あんまり見なくね? それはそうと、これによって一つ書こうかどうしようかはてなハイクにメモしたことについて、書こうと、そう思ったわけです。
http://h.hatena.ne.jp/goldhead/9234296748993719093
ええ、とこれからは、この狭量な人間の狭量な快・不快について不愉快に書かれますので、読んでいて不快になる読み物については、本当に二行も読まないでページを閉じてしまう、たとえば私のような人、そんな人はさっさと閉じればいいと思います。
というか、最近その傾向が強くて、イラッとしたり、反論したりしたくなるような文章は、余計な念ばかり湧いておもしろくないので、あまり目を通さないようになった。それによって何らかのバランス感覚は失われるかもしれないけれど、たとえば多くの人がののしるようなものに、さらに乗っかってののしるようなことは、あまり健康によくない。その逆をするほどの体力はない。
それでまあ、健康によいものばかり食べていきたいと、そう思うわけです。たぶん、健康なものばかり食べたって、食べきれないくらい食べ物には事欠かない。それに、自分はけっこう悪食で、守備範囲は広いのではないかと思っています。さらには、自分ひとりバランスを欠いたくらいで、いったい世の中をどれだけ悪くできるのか? という程度に考えておりますので、まあ気楽なものです。気楽なのが一番です。気が楽と書いて気楽。気楽でないものは気楽にお断りしたい。全力に気楽というと、非常に矛盾してしまいますが、まあ、気楽でいるのが気楽でないのなら、気楽に気楽を棄ててしまおうというくらいでちょうどいいと、そのように思います。
と、このような心持ちでおる私が、いったいなにをののしりましょうか? ののしりはののしる者にののしりの心を植えつけるのです。ののしられた方は傷を負います(へいちゃらな場合もあるでしょうが)が、言った方は自分のこころのののしりの心が増えるばかりで、たとえば「言ったほうだってつらいんだ」というのも、自虐的感傷性でののしりの心を補強しているだけのことでしょう。
そういうわけでして、乗り気ではないのです、アフラックやソニーのCMに対する不快感を表明することは。ほら、もう、気が乗らない。気が進まない。車に乗らず、進みもせず、いったいどこに行くというのでしょうか? 少なくとも地獄には行かなくてすむようです。ほら、このようにすれば、変なところにドライブに連れ回されることもなく、落ちついて寝っ転がっていられるわけです。人間それが一番なのです。
でも、ここまで書いておいて、単にアフラックとかソニーのCMが気にくわない、というだけでは失礼なので、理由を書きます。簡単に言えば、「客がてめえらに感謝している構図を、客側である俺らに見せんなよ」ということです。自画自賛はいいんだ。「この保険は死なないくらいすごい」とか、「アフラックのアヒルに毎日“ありがとう”と言葉をかけていたら、野菜が腐らない」とか、そういう宣伝ならいいんだ。それが宣伝ってもんだ。あと、まあ、客が作品をほめるたぐい、たとえば、ありがちで、陳腐かもしれないけれども、映画を観たあとの人が「全俺が泣きました」(←いつか本当にこの台詞がテレビから流れると思う)っていうやつ、あれもまだいい。
ただ、お客様からの感謝の手紙的な、そういうのはどうかと思う。そりゃあ、視聴者である俺はまだ客じゃない。少なくとも保険なんかに関しては、俺なんかは無縁だろう。だけれども、なんというか、その構図はお前の胸にしまっておけよ、というか。そら、たぶん本当に医療保険とかに感謝して手紙書くことだってあるだろうし、そういう事実は否定しないけど、なんというのだろうか、その鳥越俊太郎映して、喋らせて、流してるのは、お前ら(広告代理店というか、コマーシャルを作る人、というのが間に入るとしても)じゃなねえのって。そこんところが、なーんか腑に落ちない。
……というわけで、なんとなく言葉使いも悪くなってしまいましたので、ここらあたりで終わりにします。昔の私でしたら、ついでに“「お父さんの仕事ってすごいんだね!」的な、企業イメージアップだか、自分のところの社員向けだかわからないようなCM”についても何か書いたかもしれませんが、そこにいかないところがえらいと思います。そのように私は私から評価されています。私は私のおかげで、今日も元気なのです。それではみなさま、失礼いたします。
関連______________________
大好き! ワーク君 - 関内関外日記(跡地)……比較広告について。「ワーク君」は最近使ってないな。
夜明けのアンチコマーシャリズム - 関内関外日記(跡地)……生島ヒロシになんか文句つけてる。いけないことです。