町田について

 町田は俺にとって奇妙な場所だ。俺の母方の祖父母の住む団地がある。祖父母の居場所といえば、ふるさと、田舎と言いたいところだが、鎌倉の家から町田に行くのに、田舎へ行くとはいえない。
 そもそも、母にとっても町田はふるさとではない。母は小さいころに大阪、いや、名古屋だったか、ともかく西の方から出てきて、横浜は日吉あたりに住んでいたのだ。祖父母が町田に移ったのは、母が結婚したのちではなかったか。
 というわけで、俺にとっての町田、これは妙な場所だった。正月、親戚、冬のイメージ。箱根駅伝を越えて、団地。東急ハンズ、あったっけ。駅の方はよく知らない。
 川が流れている。川沿い、鯉、鳥、あの川の感じは、少し田舎という気がする。川、川沿い。少しさかのぼった、駅の方、そのあたりの新しい斎場。そこで祖父の葬儀があった。葬儀場は泊まりもできた。風呂もついていた。風呂はバリアフリーだったけれど、どこかラブホのようだった。ラブホが改築されて、葬儀場になるというのもおもしろい想像だった。はじめは泊まるつもりはなかったけれど、急遽そうなって、俺は従兄弟と弟と、ドン・キホーテに次の日の下着と白いシャツを買いに行ったのだった。騷がしい街、騷がしいドンキ。最近、駅のまわりのどこかは、夜になるとアフリカ系のグループがたむろっていて危ないと、彼の地を地元とする従兄弟は言う。
 町田は圧倒的に若いという気がする。俺はほとんど横浜駅レベルの人間の数、騷々しさで参ってしまうが、町田にはもっと参る。何年か前、多摩の丘の尾根道を歩いたことがあって、帰りに町田に寄った。女がきれいなトイレに行きたいというので、駅のあたりのどこかのデパートに入ったが、山から降りてきた俺ら田夫野人のように思えた。
 境橋という、なにか道の合流するような橋があって、そのあっち側にラブホテル街がある。島のように思えた。川の下の方の団地、川沿い、祖母の部屋のことを思った。
 ……と、以下のエントリのブックマークのコメントにメモしようとしたが、100字にならなかった。

隈研吾は町田を見て回るうちに、重層性(JRと私鉄が乗り入れ、大型商業施設と商店街が併存し、そのなかで老舗乾物屋とゲーセンが隣り合い、街の隙間にかつて闇市性風俗地帯が残る)を感じとっていく。

東京徘徊〜隈研吾ほか - 北小路ゲバ子の恋

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 ……この日記で「町田」と検索しても、ほとんどが浅井と対になる町田の話である。これは、自分の出自を隠そうとするというより、自分が自分の記憶に対して鍵を掛けているのだ。いろいろの後悔、不義理、追憶のこと。