あのときの不穏な空気、今の不穏な悲鳴

私の事件の記事を起訴後、初めて読んでガク然とした。それは、記事の内容の半分はデマ(うそ)だったからだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091126/trl0911261805020-n1.htm

 今裁判の行われているこの事件。この事件が起きたときの空気を思い出す。いや、空気といっても、べつに現場にいたわけでもなければ、官僚が身近にいるわけでもない。俺の吸う空気など、半径何クリックとかいう、ネット上の空気、巨大掲示板群の一部の空気にすぎない。だが、ぴりぴりとなにかの空気を感じた。不穏ななにかだった。有り体に言ってしまえば、「これはテロではないか」という……期待感だった。
 不穏な物言いだ。俺はテロを期待するのか。まったくもって、嘘とはいえないところがある。俺のなかには、そういう世の中に対する不満の種みたいなものがあって、たまに水をやると芽が出て宅間守みたいなモンスターになる。だから、そのときの気分次第では「年金テロ」にほのかな期待感を抱きもする。くそったれの下層階級だ。
 そんなわけで、この件が「飼い犬の恨みをはらすためのものであった」という証言というか自供が出て、俺はびっくりしたのだった。びっくりすると同時に、なにか裏切られたような気もしたのだ。

 ……と、当時の記事を引っ張り出してきたら(奇しくもちょうど一年前の今日)、そんなニュアンスは一言も書かれていないではないか。これは、俺がそのときポーズをとったのか? それとも、そのときはそんな風に感じていなかったのか? 不穏な種に水がまかれたのは、昨日今日のことで、この件を、今の心情からそう見ているだけなのか? 
 まあ、まったくもってわかりはしない。ただ、ともかく、今俺はこのあたりの、金のことにまたぞろ怯え、憎悪し、むかむかしているのだ。また一年後の俺がこれを見てどう思うかは知らない。また見る機会があるかどうか知らない。だからこそ、こうやって書き残しておこう。
 ちなみに、少し検索すると、この件について陰謀論めいた推測記事などがいろいろと出てくるが、まああまり知った話ではない。