会田雄次『アーロン収容所』を読む

 想像以上にひどいことをされたというわけでもない。よい待遇をうけたというわけでもない。たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。私刑的な仕返しをうけたわけでもない。それでいて私たちは、私たちといっていけなければ、すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。

 終戦後1年9ヶ月をビルマの収容所で過ごした著者の回顧録である。書かれたのは1962年で、手元のものは1998年に発行された80版である。長く読みつづけられてきた本だ。
 「燃えるような激しい反感と憎悪」の本かというと、どうもそういうイメージは少ない。少ないが、なんとも言えぬ気持ちにはなる。ただ、著者が慎重な態度で何度も書いているように、自らも平時の大学教員とはちがう、軍隊の一員、歩兵一等兵であり、また相手もそうであり、とても特異な状況の中での、特異な体験かもしれんということだ。それでも、やはり、書かずにはおられなかったというそのあたり。そのあたりが、もちろん、この著者の歴史観、民族観、あるいは日本人論、日本社会論、そういったものの妥当性だとかの正確さや普遍性にそのまま通じるものではない(著者も厳密に論立てているわけではないと断って述べているし)にせよ、やはりこれは、これこれこういう人間がこのような体験をしてどのように考えたか、という、資料のひとつとして、やはり価値はあると思える。というか、べつに俺は資料を読むような学者でもなんでもないのだけれども。というか、ともかく、やはり独特の洒脱さがあり、なんというのだろう、読み物として一級におもしろかった。

戦場

 収容所のことばかり書かれているわけではない。「捕虜になるまで」の章で、軍隊組織や戦場について語られている。また、収容所の中のことについても、イギリス人のことばかりを書いているわけではなく、日本人論のようなところも多く述べられている。

終戦まで生き残ったものは運がよかったものもいるが、ずるいのもすくなくない。すくなくとも私はそうである。なんとはなしに召集され、逃げかくれも、さぼることも下手で、黙って死んでいった多くの人びと、そういう人びとにたいして私は心の底からはずかしい気がする。

 このあたりは、「生き残った者」の実感の吐露というか。「要約されざる者」の言葉か、などと。

 しかし、戦場体験者の証言で(……といったところで、自分が目にしたのはごくごく一部というか、なにか調査や研究をしたことがあるわけでも、そればかり読んできたというわけでもないので、本当に少ない例です、一応)、「死んだのは自己責任だ」というようなのは目にした覚えがない。むしろ、どうしようもない運のようなものが生死を分けたというような、そんな話が多いように思う。

 人間には種々の型があり、万能の型というものはない。

 人間の才能にはいろいろな型があるのだろう。その才能を発揮させる条件はまた種々あるのだろう。ところが、現在のわれわれの社会が、発掘し、発揮させる才能は、ごく限られたものにすぎないのではなかろうか。多くの人は、才能があっても、それを発揮できる機会を持ち得ず、才能を埋もれさせたまま死んでゆくのであろう。人間の価値など、その人がその時代に適応的だったかどうかだけにすぎないのではないか。

 これは、言われてみればそのようだ、と思えるような話だ。俺もよく考えることだ。

 ただ、戦場→収容所の流れでは、それが大いに感じられたということらしい。まさに砲弾飛び交う戦場で勇敢に、英雄的に活躍できる人、あるいは、長い長い餓えと危機で耐え続ける中で、みなを鼓舞し、いろいろの知恵を尽くす人、そんな人たちも、収容所の中というある種の安定した社会になると、今度は目立たぬ存在になり、かえって厄介者に見られたりするともいう。
 では、収容所で頭角を現し、指導者的な、重い役割を果たすようになっていく人物とはどんなものか。それは、「泥棒」(これは多くのページを割かれているので読まれたし)の才能であり、そのようにうまく立ち回れる人間だという。戦場でのそれとは、また別物なのだ。ただ、英軍の収容所ではこのような背景もあったという。

 英軍はアメリカやソ連とはちがって民主主義や共産主義の説教は全然やらなかった。これはなによりありがたいことで、もしそれをやられたら、本当に反省したものより便乗者や迎合分子が支配者となることは確実である。そうなったら私などは日本人や、さらには人間そのものに対する希望を失ってしまっただろう。しかし、私たちの場合、英軍は説教どころか日本人を近づけ手なづけることもせず、ただの労働力としてしか待遇しなかった。英軍にとり入って上手いことをするというような接触はまったくと言ってよいほどなかった。イギリス兵にとり入ろうとするものもないではなかったが、すぐに私たちに見破られ軽蔑された。だからそういう人物が指導者になることは遂になかったのである。

 「英軍は説教どころか日本人を近づけ手なづけることもせず、ただの労働力としてしか待遇しなかった」。このあたりが、この本の肝のひとつかもしれない。憎しみを以て虐待されてわけでもなく、「ただの労働力」として、人間扱いすらされない、そのあたり(でも、中には「復讐された」というようなことも綴られている箇所もあって、そのあたり単純ではないのだろう)。

彼の見た英兵

 はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうかとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らねばならないのかと思ったが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているものではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な、本当に空気を吸うようななだらかなやり方なのである。
 私はそういうイギリス兵の態度にはげしい抵抗を感じたが、兵隊のなかには極度に反撥を感じるものと、まったく平気なものと二つがあったようである。もっとも私自身はそのうちあまり気にならなくなった。だがおそろしいことに、そのときにはビルマ人やインド人とおなじように、イギリス人はなにか別種の、特別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。そうなってから腹が立つのは、そういう気分になっている自分に気がついたときだけであったように思われる。
 しかし、これは奇妙なことである。なぜ私たちは人間扱いにされないのか。しかも、なぜそのような雰囲気にならされていくのであろうか。もうすこし、いろいろの経験から考えてみる必要がありそうである。

 たぶん、この本で一番有名なエピソードといえば、「日本人捕虜の前でも平気で着替えする英女性兵士」だろう。これについては、よく父が「毛唐ってのはそういうもんなんだ」と言っていたものだった。だいたい俺がポリティカリー・インコレクトな言葉を多く使うのは、この父のせいなのだけれども、まあそれはともかく、このあたりのこと。
 なんというのか、人種差別とかヘイトとかいうものとは、どうも印象が違う。いや、差別であり、ヘイトなのだろうけれども、どうもそれよりももっと冷徹ななにか。下手すれば、合理的ななにか。このあたりは、「分断と統治」の植民地支配を長く続けてきた結果という面もあると推測され、また、著者は、もともと大量の家畜を管理する民族的経験にあるのではないか、というようなことも述べるが、さてどうだろう。
 そうだ、インド人やビルマ人、あるいはグルカ人などのエピソードも事欠かない。このあたりもやはり、この場で著者が見聞きした範囲での、というところがあるが、やはりまたその背景も含めて興味深い。なんというのか、俗流民族論みたいな気もするけれども。
 また、英国人の階級というものについても述べられていた。これはもう、やはり士官と兵隊には制服や記章なぞなくとも、一目で分かる明確な差があって、それは圧倒的な体格差であり、身のこなしだという。このあたり、ブルジョアと労働者などというのが、観念的な差ではなくて、まるで別人種のような具体的な違いだと、そんな風に述べている。そういえば、幕末、西洋人が日本人を見て、武士とそれ以外で別人種がいると勘違いした、みたいな話があったと思う(どこにあったか忘れた)が、階級ってのはそういう面もあるだろうし、また、そういう面があるからこそ、そういう風に日本人を見た、とも言えるのかもしれない(いや、出典忘れたから、なんの根拠もねえけど)。

 えーと、そういうわけで、「このあたり」連発してて、これはもう、なんというのか、ええと、ちょっと時間なくて、とくにまとめるわけもなく、このあたりで。