ゴンザ!

竹原市長の話から始まりますが、内容は私のやり方で加速していきますのでご了承ください。

鹿児島県阿久根市竹原信一市長は4日の仕事始め式で、「今年はもっと私のやり方を加速する。命令に従わない職員は辞めてもらう」とあいさつ。

http://mainichi.jp/select/today/news/20100104k0000e040075000c.html

 ブックマーク経由でこの記事を読む。このおっさんはなかなか気になる存在だ。市長という存在が、いったいどこまでなにをできるのかという、そんなところを見せてくれているようだ。悪い意味で。でも、この人はたまたまブログやったりして、けっこう日本中から注目を浴びているわけだけれども、ひょっとしたら昭和の御代からこんな感じの地方首長はたくさんいたんじゃないか、などとも思う。その土地の人以外は知らないだけで。

 まあ、ちょっとベクトルは違うけれども、こんな風になんだかわからんが怖い感じになってるところもあるし、どうも勝手な想像で悪いとも思うが、地方の政治には見えないところがある。
 だいたい、この手の話題はよくはてな界隈などでも見るが、いまいち阿久根市民、阿久根市というものが見えてこない。いや、ネット越しに見えたものがどれほどのものかという気もするが、しかし、どうもこの市長ばかり見ていていいのかという気がするのだ。それで、とりあえず、やっぱりWikipedia先生に聞いてみる。

 うむ、なんか見えてこないだろうか。正直、俺にはよくわからん。ただ、コンビニ6軒というと、やはり田舎だろうかなどと思う。ファミリーマート3軒vsエブリワン2軒vsローソン1軒。しかし、エブリワンというのは知らないな。

店舗内に厨房・パン焼き釜を持ち、弁当を作ったり、パンを焼いたりしているのが特徴。

 ふーん、九州を訪れることがあったら、ファミマやローソンではなくエブリワンに行ってみようか。まあ、エブリワンはよろしい、阿久根市だ。と、気になる記述が。「阿久根市出身の有名人」のところである。

ゴンザ(江戸時代にロシアへ漂流、世界初の日露辞典を編纂したといわれる。)

 ゴンザ? 誰それ? 気になる。聞いたことない。初耳ミクだ。しかし、Wikipedia先生に「ゴンザ」の項はない。何者?

今から267年前、藩主の命で薩摩の町をゴンザ達は大阪(島津継豊の正室)へ向け出港、その船(ワカシワ丸)には、米や絹織物など結納品と思われる20種位の品々が積まれていた。しかし出帆後嵐に合い約半年余りでカムチャッカに漂着したが、コサック隊とカムチャダル人に襲われ父を含む15名が殺され辛くも生き残ったのは11才のゴンザとその伯父のソーザだけであった。

鹿児島天文館ゴンザ通り公式サイト-ゴンザ通り由来記-

 なんとまあ、江戸時代の漂流者であった。大黒屋光太夫みたいなものだ。そしてどうなったか。

2人は2年間酷使された後、3年かかってペテルブルグへ連行され、迎賓館にて接見した女帝アンナは、上手にロシア語で返答するゴンザに驚き日本語学校を建てその先生に任じた。

 とまあ、そんな役割を与えられたという。

間も無くソーザが43才で死亡、その数日後から日露(正確には露薩)辞典六冊の編集に挑み19才半迄で脱稿、歴史上かつて無かった寒さの中、クリスマスやお正月を目前に1739年21才でその生涯を閉じた。

 そして、この業績。なんとまあ、すごい話だ。ほかにもネットでいろいろ当たってみる。

ゴンザとソウザは起居をともにしながら科学アカデミーで学び、女帝の命により開設された日本語学校の教師になった。そこで18世紀前半のロシアで最高の学識者のひとりであるアンドレイ・ボグダーノフに出会う。

HugeDomains.com - Shop for over 300,000 Premium Domains

(注)ゴンザが編纂した露日辞典では、日本語が薩摩の言語となっているのがとてもおもしろい。

 そりゃそうだろうな。11歳の商船の舵取りの息子だ。だいたい、当時「日本語」(標準語?)というものなどなかったろうし。

先日、この話を古文書塾の受講生のみなさんに話した。とくにゴンザが女郎屋を「ワルカコトスルトコル」(悪かことするところ)と訳したことを紹介したら、大笑いになった。

膏肓記 ゴンザと露薩辞書

 これなんかいいよな。なんというか、このゴンザ少年の見ていた世界というか、世界をどう見ていたというか、そういうところが、なんか息吹みたいなもんがある。いや、ソウザのおっさんの方だったかもしらんけれども、しかしまあなんというか。そう、単に単語対照表じゃなくて、かなりこの、たった一人の薩摩の少年の世界と、ロシア語との対照というか、そこんところがいい。とはいえ、こんな状況でロシア語を吸い取っていったこの人間の力というものも驚嘆だ。

ゴンザはボグダーノフの指導のもとに本辞典のほか,『簡略文法』(露・日対照文法)を書き,またチェコの世界的教育学者コメニウスの『オルビス・ピクトウス』(図解感覚世界)をロシア語訳から日本語に訳し,その他の著作(いずれも原稿のまま)を書き残した.辞典原稿を書き終えてから1年2カ月後に,ゴンザはペテルブルグで世を去った.21歳だった.

http://www2.odn.ne.jp/~ccb72180/maegaki-gonza.htm

ロシア・ソ連の有名な東洋学者バルトリドはゴンザを「天才的な青年」と呼んでいる

 そうだ、ここも驚嘆だ。べつにゴンザは日本代表の天才少年でもなければ、薩摩で選抜された留学生でもない。たまたま漂流しちゃったというだけだ。たまたまコサック隊とカムチャダル人に殺されずに済んだだけ。もちろん、そういう境遇がモチベーションというか、生きるための手段となるということもあるだろう。ただ、だからといって、この若さでこれだけやってのけるという人間、そんなに多くないはず。多くないというか、ほとんど奇跡的なんじゃないか。まったく、この偶然というのは気が遠くなる。ゴンザだって、漂流なんぞしなければ、その天才を活かすこともなく、薩摩の船乗りで一生を終えたのだろうし、まさかロシアの女皇帝に謁見することもなければ、科学アカデミーに関わることもなかったろう。まったく、なんといっていいのだろう。ほんとうに、人の一生というのは何があるかわからん。ただ、たまに、こんなふうに、幸か不幸か、まあ不幸なのだろうが、細い細い運命の糸をたどって、歴史に名を残すやつがでてくる。気が遠くなる。

 ……というわけで、竹原市長のおかげで、俺はこの数奇な運命をたどったゴンザ、そしてソウザ(こう列挙するとなんかべつの国の、セルヒオ・ゴンザレスとパウロ・ソウザみたいな、そんな風に見えるな)を知ることができたということだ。だからなんだといえば、とくにどうということもないが、まったく、いいじゃないか、そんなので。

関連______________________

ロシアにおける最初の日本語教師となった。また日本人初の正教徒となった。

関連書籍______________________
※さっき知ったから、もちろん俺は読んだわけもないのだけれども。なんか読んでみたい気はする。あと、映画化とかしろよ。まあ、学校で観させられた『おろしや国酔夢譚』がおもしろかったかどうか、よく覚えていない。地元では有名人なのかな。

新スラヴ・日本語辞典―日本版

新スラヴ・日本語辞典―日本版

ゴンザ

ゴンザ

ロシア漂流民・ソウザとゴンザの謎―サンクトペテルブルグの幻影

ロシア漂流民・ソウザとゴンザの謎―サンクトペテルブルグの幻影

漂流民・ゴンザ (かごしま文庫 (47))

漂流民・ゴンザ (かごしま文庫 (47))

ペテルブルグの至宝―小説・ゴンザの半生

ペテルブルグの至宝―小説・ゴンザの半生