マスードとジープでダシュタックに行く。訓練場にはマタハリック(遊撃隊)の1,2,3番隊や他にも大勢の兵士が詰めかけていた。まずZPU-2、ドゥシカなどの実射訓練が行われる。マスードはホイッスルを鳴らしながら、マタハリックを直接指揮する。彼の指揮でマタハリックが銃やロケットを持ってあちこち移動するが、マスードは厳しい表情でグループの間を走り回り、細かい注意や指示を与えている。
『マスードの戦い』長倉洋海
『けいおん!!』の話でもするか? けいおん好きか? 俺は好きだ。どうだった、第三話? 俺はなんかちょっと、絵の感じが前の二回とは違うような気がしたけど、だからどうだっていうのかな? 唯がみんなで律のことを振り返ろうって、あのやりとりはすごい好きだ。笑ったよ。俺は海のように笑ったよ。知ってるか、海は広くて大きいんだ。
だいたい俺は慈愛とか博愛とか、よくわからないけれども底抜けにやさしい人間なんだ。まったく、仕方ないくらいに。だけどあっさり、老人とかぶち殺せそうな、ガキとか殴れそうな、そういう底抜けの感情というか、感情以前のフラットな感覚というか、予感というか、予想みたいなものもあって、たとえば電動ドリルを手に持って、軽くトリガーを引いて小鳥のさえずりみたいな音を出して、さらに強く握りこんで、何に穴をあけるって、自分の手の甲かもしれないし、こめかみかもしれないし、どっかのコンビニのレジの店員の眉間かもしれないし。
すごいフラットな感覚。例えば俺、ちょっと昔、ささいな失敗でも脳内出血するくらい自分の頭をぶん殴ったりするようなことがあったけど、ここのところはそれがない。まったくない。自分の失敗を恥じる心も悔やむ心も、どうしようと悩む心もない。なんかフラットだし、時は巻き戻らないし、知った話かというところで、平然としてる。他人の失敗とかも、もうべつにどうでもいいし、まったく真面目に生きてる人間ってなんなんだろう。
京都、違うな、奈良で鹿をブッ殺したやつ。あいつはいいな。最高だ。まず、山の中の鹿を狙ったというところがいい。それに失敗して、「じゃあ公園の鹿」って思ったところがいい。実行したところがいい。ラーメンが獣臭い。悪くない。だいたい、世の中というやつは、おっさんひとりより鹿が大事だし、こち亀の銅像の方が大事だ。ど根性大根の方が、そこで死にかけてるホームレスより大切だし、せっかく植えたチューリップを引っこ抜くやつは大罪人だ。まったくだ。
黎明期の戦車がすごい好きだ。最近の発見だ。なんかものになりそうだけれども、それほどよくわかってないところの産物というか。フォーミュラ・カーとかは作為的なレギュレーションみたいなものがあって、そのなかであの奇妙な進化を遂げたわけだけれども、おおよそ兵器というのはそれほどそれがないというところがいい。もちろん、軍縮のなんとか条約だとか、そういったものはあるかもしれないが、ともかく相手を殺して、こっちが生き残るような、そんなところでやりたい放題だ。すごくでかくて分厚いとか、もうでかすぎて困るとか、そんなのを作ってもいい。現実問題使い物にならないとか、そういうのもあって、まあそのうちにだんだん形も落ち着いてきて、戦車なら戦車というふうになってしまうのだけれども。
人間なら人間というふうになってしまったのだけれども、まったく、たとえば使徒みたいな生命の可能性とか、そういうものもあったとか、そんな話。
基本的に、AK47を国旗に入れようというか、そのあたりの話は良い話だと思う。なんというか、もちろんそれ以外の要素があるとしても、物に対する友情みたいなものも含まれている、その部分。
なにか盆栽でも買おうと思う。
それじゃあ。