あの日の小倉隆史とあの日のE君の思い出

 中学に入ってしばらくしたころだったろうか。なにかの休日、よくわからないが家でサッカーの中継を見ていた。ただ、なんとなくだった。やっていたのはJリーグでもワールドカップでもなく、高校サッカーだった。高校野球に興味はあれど、高校サッカーには興味がなかった。ただ、知らず知らずのうちに、夢中になってテレビを見ていた。同じく、ただなんとなく一緒にテレビを見ていた母も夢中になった。母も私と同じく、サッカーのことなどよく知らなかった。
 何に夢中になったのか。小倉隆史だった。そのときの小倉がどんなポジションでどんなプレイをしたのかは表現しようがない。私はサッカーの言葉を持っていないからだ。ただ、記憶だけははっきりある。小倉はサッカー知らずの中学生とその母親を夢中にさせるだけのなにかをしていたのだ。母は言ったものだった、「この老け顔の子、すごいわね」と。
 たぶん翌日のことだ。教室でその小倉の話をしているクラスメイトがいた。サッカー部に所属するE君だった。E君は、同じサッカー部の仲間に、昨日の小倉がいかにすごかったか熱く語っていた。ただ、相手は試合を見ていなかったらしく、いまいち盛り上がっていないようだった。
 その様子を見ながら、私はE君に小倉のことで話しかけようかどうしようか考えていた。E君はたまたま名字のあいうえお順が近かったから、席も近かったし、話もした。ただ、だからといってとくべつに仲がいいというわけでもなかった。E君は運動神経のよいサッカー部員で、いい奴だった。やがてはクラスの中心になるような奴で、ようするに私とはタイプが違うのだ。
 結局、私はE君に小倉のことを話すチャンスを逸した。たぶん、小倉のことを話せば、E君と話が弾んだことだろうと思う。小倉はそれだけの何かだったし、べつに私とE君は相性がわるかったわけでもないのだ。ただ、なんとなくの気後れで、彼と小倉のことを語る機会を失ったのだった。
 小倉は、その後もサッカーを続けた。名前を見れば、なんとなく気にはかけたりもした。ただ、いちばん大きく報道されたのが、あの膝が逆方向に曲がる不運な事故のシーンだったのはとても残念だった。
 もし、あのとき、E君と小倉のことを話していたら、どうなっていただろうか。ひょっとしたら私は今ごろ熱心なサッカーファンだったかもしれない。あるいは、交友関係ががらりと変わり、まったく違う人生を歩んだのかもしれない。まったく、そんな想像をしても意味はない。でも、ワールドカップ中継で意外に明るいキャラを見せる小倉の姿を見るたび、あの日のことを思い出すのだ。

wikipedia:小倉隆史

高校サッカー選手権での活躍以来の根強いファンを持ち、評論家はもちろん、当時の日本国民を推して誰もが認める「天才」「未来の日本のエース」たる存在だった。日本代表のフォワードは10年は安泰だと言わしめた高い実力と人気を備えていた。