腑に落ちない世界

 腑に落ちる、腑に落ちない。俺この言葉好き。なんかの意見だの考え方だのを読んだり聞いたりして、納得がいくときってのは、どちらかっていうと腹の方に染み込むでしょ。あるいは、その意見に反発すれば腹が立つ。やっぱり人間のハートは腹の方にある。ドキドキしたり、ワクワクしたり、ムカムカしたり。結局は脳がそう感じさせているのだろうけれども、経験というか、体感だとやっぱり腹だろうと。
 しかし、そう感じさせているなにかがあるというと、そこにこの、神経だのを通るなにか信号のようなものがあるはずだし、誰かが腑に落ちたときそれを客観的に、科学的に、数値的に観測できるのかもしれない。選挙でも、会議の最後に決を採るのでもいいけれども、まあ人間が賛否を表明したりする。そのとき、そいつの腑に落ちてるかどうか調べられたりするかもしれない。
 大日本帝国の軍部でも、連合赤軍でも、そこらの会社の会議でもいいけれども、「反論する勇気がなかった」とか、「空気が支配していた」とか、そういうのあるじゃん。そこに「腑に落ちたかどうか調べるマシーン」があって、それが皆に可視化されていたらどうだろうか。そのマシーンの結果によってのみ採決されるとしたらどうだろうか。腑に落ちる社会になって、腑に落ちないできごとが起きにくいだろうか。
 それはわからない。ある一人の人間の決断が正しいかどうかわからないし、多数決が正しいかどうかわからない。だから、人間の内臓感覚だの内臓言語だのの多数決が正しいと言い切れるはずがない。正しい可能性があるかもしれないし、ないかもしれない。
 ただ、思うのは、選挙制度にしろなんにしろ、これはけっこう昔にできたものであって、そのときの「人間」をベースにしてるんだろうと思う。まあ「人間」の基準自体、貴族だとか男性だとか、そういう括りがあったわけなんだけれども、なんというのか、肉体としての人間というか、そのあたりで。
 で、だいたい人類が今の人類程度に賢くなって何万年だか何十万年だか何百万年経って、たいして変わってないということらしいけれども、ただ、それの機能の解明についてはずいぶんアップデートされてるんじゃなかろうか。無意識だとか深層心理だとか、あるいはもっと具体的な、科学的で機械的な解析だとか。
 とすると、人間の理性だとか知性だとか自由意思だとかを表明する方法についても、なにかしらアップデートはいらないのかしらん、という気にもなる。記名投票から無記名投票へ、なんてものよりももっとラディカルな。まあ、そうしたところで、それでさらに人類がますます賢い選択をするようになる、などという保証はないのだけれども。そういう意味では、逆に内臓の感覚を圧倒的に否定して、そういうものは排除して、あくまで知的ななにか、論理立てできたなにかからの選択の方がマシかもしれない。あるいは、マシでないかもしれない。
 いずれにせよ、なにかしらの技術は人間を別のなにかにすることもできるだろうし、さらにできるようになっていくだろう。今まで人間と思われていたような枠組みが、気づいてみたら現実に適応していなくなっているかもしれないだろう。そのときに、いろいろの制度だとか仕組みだとか、従前のままでいいのかどうか、アップデートすべきなのか、そんな話になるものだと思うし、それについて心構えしておいても悪くないように思う。もちろん、いずれはAIなども相談相手になってくれるかもしれないし、ある種の決断はAIに委ねるような仕組みも考えられるだろうと思う。人間も哲学も科学もしらん、SF好きの妄想にすぎないといえばそうなのだろうけれども、なんとなく雨の降る日はそんなことを考えてしまう。