ようやく朝晩の空気が秋のかおりになりつつある昨日や今日、これを機会にこの秋の計画を書いてみたいと思います。それは、「おいしいパフェを食べに行く」です。
「おいしいパフェ」? この言葉は圧倒的におかしい。たぶんあなたはそれを指摘されるでしょう。なぜならば、パフェとはパーフェクトであってペルフェットであって完全なのであり、いついかなるときも、またこの宇宙のあらゆる場所のあらゆる局面において「おいしい」のです。「おいしいパフェ」などという物言いは、パフェの無謬性を貶めるような言葉にほかなりません。もしこれが中世であり、私が神について触れていたのであれば、今この瞬間にも火炙りになっていることでしょう。ただ、今は21世紀であって、私は寛容によって救われます。パフェもまた、寛容をもつがゆえに完璧であると、そのように思います。
では、私が屋上屋を架してまで「おいしい」とつけた理由はなんでしょうか。それは、私にはひとつのイメージがあるからです。ある「おいしい」のイメージが。
今から、5年か、6年か前のことでした。遊んだ帰りだったかなにか、私は私とつきあっている女の人と、横浜駅のジョイナスだったかどうか、そのようなところにある喫茶店のようななにかに入りました。ちょっとお茶していこう、という具合。が、メニューを見て驚きました。一番安いものでも600円などと値段がついている。そのときも、今も、私にはお金がありません。そこで、怯えながら、また、血の涙を流しながら、一番安いヨーグルトドリンクだかなにかを頼んだのですね。
そう、ご想像の通り、おしいかったのですね。それをいまだに覚えている。べつに王侯貴族が行くような名店でもなければ、グルメが列をなすような店でもありません。ただ、駅ビルのようななにかに入ってるだけの店だ。しかし、牛丼の並を2杯食べられるような値段のヨーグルトドリンクにはその価値があったといえるのです。私にはそれが衝撃だった。
さて、パフェに話を戻しましょう。私がパフェを崇拝していることは日頃の行いからご存知と思いますが、かといって私の食べるパフェは先の駅ビルに入ってるような店や、スイーツの名店、そんなものですらない。ファミレスや居酒屋のデザートのパフェにすぎない。しかし、私はそれでほとんど満足してしまい、死んでもいいくらいの気持ちになれるわけです。ではもし、もっと本格的なパフェを食べたらどうなるのか……?
私に残された時間は短い。べつに寿命ではありません。生活の水準とか状況の話です。まだこの秋ならば、少し高い、それこそ牛丼の大盛り2杯半分くらいのパフェを食べる余裕があるということです。だから、私はこの秋に、パフェを食べようと思う。そのパフェはどんな形をしているだろう。秋だからマロンが載っているのかもしれない。生クリーム、アイスクリーム、アイスクリーム、チョコソース、バナナ、バナナ、ソフトクリーム、アイスクリーム、ティラミス、バナナ、チョコソース、ココアパウダー、アイスクリーム、アイスクリームの上のスペアミント! おねえちゃん、そっちのイチゴのやつもじゃ、おかわりもってこい!
……本当なら2杯くらいいきたいものです。ただ、いきなりパフェ2杯だとか、パフェのおかわりだとか、それが許されるとも思えません。が、私は策を弄するタイプの人間ですので、それも織り込み済みです。
まず、前提としては、私は一人でそのようなところには行きません。必ず女の人に同行してもらうことになる。そして、私にとってプライヴェートでなにかに同行してもらえる人間というのはたった一人の女性であって、それを……利用するのです。幸か不幸か、彼女はパフェを苦手としている。とんでもない邪教徒だが、今はそれを許そう。寛容です。寛容の心だ。そう、策とは、女にもパフェを注文させる→一口二口で飽きたところで、続きは私が食べる、これです。急に具合が悪くなって食べられなくなった同行者の後始末をするというふうに見えるのでもよし、あるいは、サッと器を入れ替えてしまってもいい。完璧だ!
……いや、パフェは完璧でも、策が完璧だろうか? なぜならば、おそらくは同時にあらわれるパフェのこと、こちらがもたもたしているうちに、溶けてしまうでしょう。かといって、やはり目の前にパフェを二杯置いて食べるというのは、欲張り坊主のようでいただけない。やはり、私が持ち前の早食いを駆使して、一気に一杯目を平らげてしまうよりないでしょう。なあに大丈夫、私のとりえといえば両手の親指の爪でノミを殺すことと、早食いくらいしかないのだ。女に「あほかこいつは」と蔑むような目で見られながら、二杯目のパフェを食べる。私の人生は、その瞬間のためにある!
そんなわけで、先ほどチェーンの居酒屋のデザートでパフェを食べた(チョコレートパフェを頼んだら、それを構成するところのカボチャプリン切れという衝撃の事態。そこで、ラズベリーのパフェだかを頼んだところ、杏仁豆腐など使ってあって、これもありだと思った)私は、今までなんども同じ話をしてきたのに、また同じような話をしてしまったというわけです。ただ、私には覚悟があって、この秋にこれを成し遂げるというのはほとんど確実だと、ここに宣言する次第です。おしまい。