ラーメンが獣臭いって思ったことはあるかい?

 はてなブックマークとかいうサービスで、俺は「ラーメンが獣臭い」というタグを作り、使っている。「政治」「社会」「経済」などと並んで「ラーメンが獣臭い」である。「ラーメンが獣臭い」とはなにか?

 この事件のこの記事で見かけた文字列にインパクトを受けて、その記事をブックマークするのにタグを作ったのだった。言うまでもない、まるで使い道のないタグである。この世の中のある出来事について、それを「交通」の話であるとか、DTPに属するものであるとか、あるいはそれを読んだ自分の感情が「俺これ好き」だったり、「かわいい」だったり、「ぽかぽか」だったりすることはあっても、「ラーメンが獣臭い」などという話は、上の事件についてしかありえない。
 ……ありえない、はずだった。妙な話である。この世の出来事やなにかについての言葉を分類する鍵、あるいは容器として「ラーメンが獣臭い」をひとたび手に握ってしまうと、この世のなにかについて「これは、ラーメンが獣臭い話ではないか」と思えてくるではないか。ベルトコンベアになにかが流れてくる。分類のタグを貼る、これは「野球」、これは「エロ」、これは「ラーメンが獣臭い」……?
 やはりあらためて問わねばなるまい、「ラーメンが獣臭い」とはなにか。意味が分からない。俺にも意味が分からない。なんとなく、そうではないかという判断だ。それでしかない。食べ物の話題や野生生物の話でもあり、また、肉で金を儲けるために奈良公園の鹿を射ることと似ているかもしれないなにか。いや、説明のしようがないが、俺の頭の中にはなにかしら「ラーメンが獣臭い」という概念? ニュアンス? イメージ? イデア? シニフィエシニフィアン? なにかそれが生まれてしまっているのだ。
 そんなわけで、俺は来る日も来る日も世界に対して、これは「パンツじゃないから」だろうか、「恥ずかしくないもん」だろうか迷ったり、こち亀みてえだな」なのか「ウシジマくんみてえだ」なのか悩んだり、ときには「人生をかけている」事案かどうか、単なる性犯罪や変態ではなく、そこに人生があるかどうか真剣に考え、また「ラーメンが獣臭い」かどうか、分別しつづけるのだ。まったくこのような状態は「プリントアウト」の代物であって、このままでは「みんな死んじゃう」かもしれず、はてなには責任をとってもらいたいと思う次第である。