もんじゃ焼き小景


 わたしの名前は月子。月島の月から名づけられた。今年で12歳になる。今、わたしの両の手には、はがしが握られている。右、左、右、左、右、左……、熱く焼ける鉄板の上のキャベツを刻む。その向こうには押し黙った父の両の目が光る。わたしにはなるべくそれを意識しないようにする。なにかに取り憑かれた人間の目、奥底に秘めた憎悪が少しずつにじみ出している人間の目。彼は憎んでいるのだ、奥の席でメロンソーダを飲みながらもんじゃを食べているチャラい男とその女を。彼は憎んでいるのだ、その隣の席で店員がもんじゃを刻んでいるのをポケーッと見ている金髪の男を。
 わたしは息を殺して土手を作る。神さまやなにかに祈ったっていい。父は何も言わない。私は左のはがしを置き、土手の中央に生地を流し込む。じゅっ……と、鉄板が音を立てる。わたしは一瞬だけ目を閉じる、開ける、生地の一部が土手の隙間を滑る、鉄板に広がる。わたしは慌てて流れでた生地を土手にもどそうとする。わかっている、そんなのは無駄なのだ。父はビールを一口煽り無言のままだ。わたしはなにもなかったかのように、手順通りに生地を流し込み、ソースをそそぎ、混ぜ合わせ、広げる。端の方が焦げはじめる。そこでようやくわたしは椅子に座り(わたしの身長ではすわったままもんじゃを作れないのだ)、はがしでもんじゃを食べ始める。父はその動作のすべてを見ている。嫌な目だと思う。もう決まっているのだ。わたしはなにも考えないで、機械のようにもんじゃを口に運ぶ。口の中はやけどしてべろべろになってしまっている。途中で水を飲むことも許されない。
 なんとかして最後の最後の一片を口の中に押し込む。わたしはすぐに立ち上がり、店の用意していたお好み焼き用のへらで鉄板をこそぐ。カスをサイドポケットに入れる。しかし、わたしの両手はもう疲れていたし、立ちつづけていたから太ももにも力が入らない。せいいっぱい力を込めても、鉄板はもとの輝きを取り戻さない。
 その光景を見ていた父が、ふいに振り返るとカウンターに向かって大声でこう言う。
 「ハイカラもんじゃ、追加!」
 すべてはわかっていたことなのだ。わたしは鉄板に向き合う。汗だくになるわたしを見かねて、ボウルを下げに来た女性の店員さんが「こちらでやりますので」と言う。わたしはへらを差し出す。いくらなんでも、ここでへらをわたさないわけにはいかない……。
 わたしはへたり込むように椅子に座る。店員さんが手ぎわよく鉄板をきれいにしていく。父は何も言わずに鉄板を見つめる。わたしにも言葉はない。店員さんがテーブルを去る、沈黙は続く。
 やがて、追加注文の「ハイカラ」がやってくる。小さめのボウルにこんもりと盛られたキャベツと具材。なにか気持ち悪いものにしか見えないモチとチーズ。わたしはモチの火の通し加減に思いを巡らす。機械のように立ち上がると、鉄板に油を引く、また始まる。繰り返す、繰り返す。母が逃げてしまったのもわかる。わたしは母を責められない。アルコールの充血と狂気で濁った父の目を心の中で思う。わたしはこの鉄板から逃げられない。なぜ、ほかの席の人たちのように、楽しく食事ができないのだろう。考えても無駄だ。いっそのこと、わたしもこの鉄板で焼かれて、死んでしまえばいい。そんなことを思う。右、左、右、左、わたしはキャベツを刻む、鉄板が音を立てる、この夜はまだ終わらない。

※写真の店舗はイメージであり、本文に関係ありません。