人間のようなものについて

研究を率いたポール・メラーズ(Paul Mellars)氏は、こうした技術・行動の両面での進化によってホモサピエンスは、欧州全域にまたがってネアンデルタール人が暮らしていた地域に進出し、定住することに成功したと指摘。ホモサピエンスの大量流入のため、ネアンデルタール人は従来の居住地域から生活環境の厳しい地域へと追いやられてしまったのだろうと述べた。

ネアンデルタール人の絶滅、現生人類の増加が原因 英研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 小さいころから恐竜とかにとくに興味はなかったし、なんとか原人とかいわれてもそれが種として自分と同じものなのかどうかなどということもよくわからない。だいたい生物としての種がどんなものかなどというのも、20をすぎてから植物をさきに知ってなんとなく思いうかべるていどのことなのだけれども。
 だけれども、なぜかわからないがホモ・サピエンスネアンデルタールがともにいたころの大地を想像するとゾクゾクするところがあってふしぎな話ではある。ホモ・サピエンスなのだから、まあだいたいわれわれとそう大きくかわらないくらいのものだろうが、それと同時に人間のようななにかがいた、というのがひじょうに興味ぶかく、なにかをかきたてられるような気になる。
 上の記事によれば、もとからネアンデルタール人がいたあたりにホモ・サピエンスがやってきてのっとって閉め出したようなニュアンスも感じられるが、はたしてどのくらい接近していたのか、交流していたのか、闘争していたのだろうか。世界は広いし、人口、ネアンデルタール口も少ないだろうし、よくわからない。
 ただ、想像としては、いろいろあった方がおもしろいようにもおもえるし、だいたい似たような連中なのだから住み良い場所などもかさなってくるのも当然という気もする。その結果、争い合うホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスの中でめばえた禁断の恋というような話もあったりすればおもしろいかもしれない。まあ、そもそも当時の彼らが互いにまったくべつの種だとか認識していたわけでもないだろうが。まあ、この現生人類でいえば、肌の色が違ったりする異人種と出会ったときにどんな感じだったのかというような話に近いのかもしれない。
 で、結局、ホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスが交雑したのかどうかというのはまだまだわからないところだろうが、あるいはそういう話もあったかもしれず、なくてもいいのだけれども、たとえばロミオとジュリエットの話の起源をそこにまでさかのぼるのは無茶があるだろうかなどと思わなくもない。言葉や文字がうまれる以前の遠く遠く、長い長い間のわれわれの先祖のつみかさねてきたものが、いっさいわれわれに繋がっていないと考えるのはあまりおもしろくないように思われる。
 そしてやはり、われわれとは違うが、われわれのようなものがいる。あるいは、人種の差などというものはせいぜい園芸品種レベルの違いであるとわかった(わかってない人もいるが)今の、わりかし新しい考え方かもしれないが、そういう想像というのは、やはりおもしろいように思える。UMAとか呼ばれるものが、そういった人類の生きのこりではないかという想像も妄想の域を出ないせよたいへんにたのしいところがある。貼りつけた写真はたしか東京の博物館で見たホモ・フローレシエンシス(フローレスHomo floresiensis)なのだけれども、Wikipediaによればこんなことも書いてある

1万2千年前に起こったインドネシア火山の爆発で、フローレス人はステゴドン等と共に滅んだと考えられている。しかしながら、現地にエブ・ゴゴ (Ebu Gogo) という小さい毛深い洞窟人の伝説があり、16世紀にオランダ人が到着した際もその伝説を聞いており、19世紀ごろまで小人族を目撃したという話があった。近くのスマトラ島にも、オラン・ペンデク (Orang Pendek) という同様の種族の伝説があり、現代での目撃例もある。そのため、この付近の島々にホモ・フローレシエンシスが生き残っている可能性があると考える人もいる。

 まあ、悪くない話である。悪くない。