今年はまったく明石家サンタを見る気になれなかった


 唐突に引っ越しを決めて、唐突に身体が動かなくなり、唐突に精神病院へ行った。

 引っ越しは予定通り行われなくてはならないし、母方の祖母の納骨式も予定通り行われなくてはならない。

 通夜でも葬儀でも見なかった、車椅子の老婆が参列した。誰だかよくわからないので、そっと母に聞く。

 しかるに、彼女は曽祖母一家の満洲移住についいていくのが嫌で出奔した曽祖父のその後にできた内縁の妻との間の娘だという。誰だかよくわからない。

 あとはだいたい、弟と内柴の話をしたり、叔母の中畑監督への痛罵を聞いたりして過ごした。叔母がホエールズ以来のベイスターズファンなのは知っていたが、駒田ですら認めていないというのには少々おどろいた。いとこの中で唯一結婚したのがいて、その旦那というのが一部上場企業勤めのおとなしいやつで、まったくこの血統の毒吐きっぷりにはついてこられない。

 俺と弟はその唯一結婚したいとことその旦那との間に生まれた子供に対して「かわいい」という言葉を発してみたり、愛想笑いをしてみたりもできなかった。互いの人生が失敗した理由についていろいろと考えたりもした。

 きちんと他人をほめることができないから、他人が自分をほめてもよく感じることができないのか。他人が自分をほめてもよく感じられないから、他人をきちんとほめることができないのか。いずれにせよ、あなたが人の親ならば、子供の前で他人の悪口を言わないことだ。

 リコーは騙されてこの地に来てしまったのではないだろうか。俺がなにかに騙されてこの世に来てしまったように。オリンパスはどこにあるのだろう?

 俺はリア充なので、クリスマス・イブの日はヨナにちなんでクジラを食べる。女と野毛に行く。クジラの店が閉まっていた。かわりにドジョウを食う。似たようなものだろう。のれんをしまい忘れたようなタイミングで入ってしまって頼んだ柳川定食、「まる」か「ひらき」かで、「まる」を頼んだのは正しかったのだろう。女将の気の遠くなるほどの長い時間で培われた接客と会話、粋な返答をする客、野毛。

 俺は、人から見たらうらやむほどのスタート位置から人生をスタートしたのだろうが、どこでどう間違ったのか。そもそも、入るゲートを間違っていたんだろう。

 しかし、なぜ今の自分の周りの狭い世界には、機能不全の家族、心身の病気持ちばかりいるのだろう。なぜ恵まれていない人間が多いのだろう。健康な人間のほうが少ないのだろう。弱者が集まったところでだれにも手の施しようがない。不信と憎悪ばかり編み込まれていく。社会の仕組みやなにかからも救われることもなく、疲弊して、打ち捨てられて、苦しみの中で死んでいくしかない。今後、この社会がよくなるとしても、一世代、二世代のスパンではないだろう。

 ひとつに、ずっと前からの暴力衝動というものがあって、単純にすれ違う人間、老若男女ひとりずつについて顔面を殴りつける想像をしつづけるというものがあって、あるいは理不尽な暴力に巻き込まれて殺されたい、あるいは殺したい、せめて相手の両目を失明させたいと思うような、そういう刑務所願望、暴力願望、希死念慮みたいなものもあって。

 あるいは、明確に敵というものがわかれば、それを殺すために動くことができるのかもしれない。国家や宗教、政治集団なんでもよいけれども、そういったものを信奉してしまえば、俺はすすんで世を正すために地下鉄でサリンだってばらまくだろう。ただ、俺はやはり他人という他人が大嫌いだし、誰かの言いなりになんかなりたくないし、まったく俺以外のすべてを馬鹿にしきっているので、そういうものにつきあう自信もない。俺はまったく俺以外のすべてを馬鹿にしきっているので、ドヤの酔っぱらいと世界で一番みじめな喧嘩をした挙句にうっかりと死んでしまいたい。
 正確に言うと、まだ引っ越しは終わっていなくて、前の部屋にいくら荷物も残っているし、できうるかぎりの掃除をしなくてはいけない。
 新しい部屋は、ワンルームから1Kに変わって、俺はKを持て余している。人間は相応のところに生きなくてはならない。
 俺はまったくうんざりしていて、八木さんのファンなのに今年は明石家サンタを見る気になれなかった。多少は興味のあること、面白いことがまったく面白くなくなってしまったように感じることが多い。おまけに、会話の上で洗濯機と冷蔵庫という言葉を完全に区別できなくなってしまった。
 俺よりどうしようもない状態の人がいるのに、それより動けるはずの自分がまったく動けないことへの引け目というものはあるのだし、人間は相応のところで死ななくてはいけないと思うようになった。
 この世には大きな理不尽があるのだし、なにかしらの方法で糾されなければならないと思うようになった。