桜玉吉は生きていた。ビームはおもしろくなっていた。

 桜玉吉が5年ぶりにページ物を描く。そう知って、今月号のコミックビームを買った。たしかに桜玉吉が描いていて、しかもなんというか、3.11を題材としていながら、あまりに桜玉吉であって、なんかわからんが、ホッとしたのか、なんなのか、もう「玉吉もなぁ……」っつーか、よう言葉にならんかった。そして、最後のページを見て、自分の3.11を振り返ったりもした。

 3月11日の夜、木造安アパートの部屋に戻った俺が見たものは、崩れ落ちた本に、積み重なった衣料、冷蔵庫の前に落ちている割れ鏡などだった。……まったく、朝部屋を出たときと変わりない光景だった。俺の部屋は地震に揺さぶられなくとも、すでにゴミ部屋だったといっていい。

日常に帰ったところで - 関内関外日記(跡地)

 つまりはどういうことだろうか、よくわからんが、「俺もなぁ……」と思った。俺は昨年末に本格的にケミカルなメンヘルになってしまって、まだまだカジュアルで軽傷なのは確かだが、これからどうなるかは未知数。玉吉は5年描けなかったが、俺には5ヶ月の蓄えもない。
 しかし、5年だよ、5年。ちょっと呆然とする。玉吉の不在の長さというよりも、なんだろう、俺は5年前もずっとファミ通のころから引き続いて特別に贔屓していた桜玉吉がいて、5年後の今もそうであって、5年前の俺と今の俺の何が違うかというと、ピアスの穴一つ変わってねえやという感じがあって。
 それで、俺が桜玉吉を知ったのがいつだったか、読み始めたのはいつだったかと考えると、小学生のころの、ひょっとしたら行方不明になってしまった「コ」と「ン」と「信」がいたころのあの雑誌なのであって、それはもう、言葉にするのもおそろしいが20年以上前になる。それはその20年というスケールに値するだけの人生を送ってきていない、なにも積みかさねてこなかった。なんというか、それに呆然としたのだ。
 その呆然の中で、玉吉がどうだったかといえば、なんというのだろう、それが良いのか悪いのかも俺にはもうわからんが、やはり漫画を見る限り変わっていないのだったし、地震直後の他の個室の様子の描写とかに、変わらずのなにかを感じてしまい……。ちくしょう、やっぱりなんも言えないや。「おかえりー」って言っとけばいいのか? いいのかもしれない。

月刊コミックビーム 2012年4月号[雑誌]

月刊コミックビーム 2012年4月号[雑誌]

 それにしても、コミックビームだ。読もう!コミックビームだ。俺は桜玉吉の連載が終わってファミ通を買うのをやめたが、桜玉吉の連載があるからといって、コミックビームを買い始めなかった。いや、最初しばらくは買っていたが、玉吉以外にそれほどの魅力も感じず、やがてあらゆる漫画から金銭的な理由で手を引いて、それ以来だった。玉吉は単行本で買えばいいし、それが広告四コマだろうと、「桜玉吉についての本」であったとしてそれは買う、という。
 それで、もうまったく連載物なども途中からなのだけれども、すっかり面白い漫画雑誌、これが漫画だろうという漫画がたくさん載っていて、驚いてしまった。昔、モーニングやアフタヌーンで見ていた名前もあるが、ともかく、ここしばらくのところ買っていた、アニメのコミカライズものなどと比べると、これぞ漫画って感じがしたのだ。たまたま好みのアニメのなにかのために、漫画雑誌と知らず買ってしまった漫画雑誌とかと比べると、濃度やらなんやらが違うと、そんな風に感じたのだ。なんかやべえ、来月も買ってしまうかも、というような感じだし、いや、とりあえず次に玉吉が載ったら買うくらいにしておくべきだ、と抑えたくなるような。いや、月々五百数十円くらい出せよ、俺。でも、金が、いや、しかし。
 ……というレベル。いや、俺はまったくなんかの習慣から手を引くと、まったく切ってしまう類の人間であって、漫画雑誌の定期購読というのは実家が失われたと同時に「やめた」ものであって、わりと強く、それこそ10年という単位で続いてきて、それが当然にすらなっていたのに、そう思わせるあたり、O村すげえなとか、あの、読者がお金を出し合って広告を……というような時代とは違うのかなどと。まったく、俺はもっと浦島太郎か。となると、5年などという長い時間を経ては、今のビーム読者は「なんでこのおっさんの漫画が?」みたいに思いはしないだろうかなどと妙な不安を感じてしまうのは失礼かも知れないが、そんなことまで思ってしまう。
 ああ、でもなんだろう、なんかやっぱり上手く言えないが、やっぱり桜玉吉は自分にとって特別な漫画家だし、こんなに長く読みつづけ、その変化を、あるいは変わらないところを、描かれた彼の生活、人生、その虚と実、なにもかもまだまだ続いて欲しいと願うし、なんというか、そういう病気と診断されてしまった俺の先輩というか、兄貴というか、先行者というか、……そんなものを一ファンとして求めるのはなんかやばい感じもするが、でも、やっぱよー、5年後の俺も生存確認できたらいいなって思うぜ。ああ、まったく。