映画『精神』を軽く病んでいる俺が見るのこと

精神 [DVD]

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想田和弘の「観察映画」、『精神』をみた。『選挙』は何年か前にみていて、精神病院を扱った映画を撮っているという話題も目にしてたと思う。が、すっかり忘れていたのだった。

昨年末くらいから精神病院のお世話になる中で、ふと思いだしたのだ

希死念慮が完全に頭を支配しきった末に、朝、身体が動かなくなった。いくつか医者に電話をかけるも一週間待ちなどという中、偶然一軒だけその日の予約がとれた。その時は、「精神病院」(心療内科? メンタルヘルスクリニック?)がどんなものかなどと考える余裕はなかった。

●でも、俺は精神の病気でいえば、相当に軽い方ではあると思う。処方される薬の種類や量から判断するにだ。そしてもう、それら薬によって身体が動く限りは戦場に戻って死ぬまで働く。本来なら休養で済む程度の症状にも投薬するのはよろしくない、などというのはブルジョワの戯言だ。

●まあ、そんな俺が『精神』をみた。出てくるクリニックはなんというか、民家そのもののようであって、待合室なども畳の部屋だったりして、患者同士が寝っ転がったり、ダベったりしてる。喫煙完全自由という、少なくとも今現在の神奈川県ではアウトでアバウトな空気。

●少なくとも俺の知っている医者は普通の内科のような作りで、待合室も普通の内科のようである。ただ、診察室のドアが薄いせいと、医者の声がデカイので、かなり内容が聞こえてきちゃってる点はオープンなのだが。まあ、そういう意味でなくオープンなのが『精神』の病院だ。

●というわけで、たぶん、俺が想像するに、『精神』の精神科としてはけっこう特殊なのではないかという印象を受ける。が、かといってなにかしらホメオパシーとか特殊な療法を取り入れてるとか、神憑りとかではない。普通に薬も出す。ただ、その世界で有名な先生なのかどうかしらんが、ガンダムかジムかで言えばガンダムなんだろうな、という、そういう老医師の病院なのだ。

●しかし、主役はといえば、やはり患者だろう。これも、本人たちが話し合い、出たい人は出る、ということになったという。だからといって、顔出しオーケーのような軽い人たちが出てくるわけではない。すげえヘビーで、長く長くたたかってきた人たちであって、語られる内容の重さも、正直想像できんレベルのものであった。

●また、やはり自分の精神、心、内面、一方で、その己が属する社会を長年見てきた人たちでもあって、中にはえらく含蓄というか、すげえところまで行ってるな、というような、そんな印象を受ける人もいる。

●まあ、いろいろなのだし、いろいろの人を素直に映しているわけだし。そう、一人ひとりの語りを存分に、ぶった切らずにやってくれているあたりはいい。また、人間関係やなんやらみたいなのもまったくといっていいほど描かないし、その時々を切り取ってみせてくれるようであって、変に話の流れのないのもいい。こういうのも悪くない。

●そういうわけで、ラストもここでか! というところで終わる。おっさんがバイクに乗る。走り去る。あれ、さっき免許なんて持ってないみたいなこと言ってなかったっけ? とか思う。思ったらラストだ。が、そのスタッフロールの冒頭に衝撃を受けずにはおられん。

って、ネットで探せば監督の口からも語られていることなので言ってしまえば、出演していた三人の方が亡くなっており、追悼の文字とともに顔写真が出るのだ。

●とくに一人の方にはびっくりした。完治するたぐいの病気なのかどうかわからないが、少なくともわりと悪くないところにいるように見えたからだ。

●やっぱり人間が何十年と生きてきて作られてしまったパーソナリティーというやつは、生半可に変えられたりするようなものではないのだろう。薬などいまの時点で対処療法でしかない。そういう意味では、俺も「幼稚園時代は闊達だった」とかいう記憶はいっさいなく、わりと物心ついたころから不安に圧倒されていたのだから、そういう意味では年季が入っているともいえるか。

●それでもやはり俺は人間同士のつながりとか、社会のありようの変化とか、そういったものを信じようとは思わない。メンヘルはもっと徹底的に、若いうちにその傾向を見抜き、早めに投薬や認知療法を施すべきであるし、こじらせてしまった人間には脳深部刺激療法でも精密なロボトミーでもなんでもいいから、徹底的に人格を破壊し、改善できるよう、医療の進歩に期待するばかりである。

●まあ、むなしい期待か。何事においても半端者の俺には健常者側にも居場所がなければ、向こう側というものがあるとしたところで、そこに入るほどのこと悪くもない。なにが悪いって運が悪いし、性質が悪い。なにか大きく欠落していて、そのわりには下手に適応できる部分がある。本音を言えば、わりと頭は切れるような気もするが、心の方も切れっぱなしで、もう電池も切れ始めている。貴族様でもあるまい、人生の充電などする余裕もない。くそ、俺にひたすら自由な時間を与えてくれ。ろくでもないことでその時間を満たしてやろう。

●いくら薬を飲んだところで、ずっと抱きつづけていた恐怖と不安は消えやしないし、希死念慮はポケットの中に。あとはせめてそれの扱い方くらいか。迷惑をかけないように死ぬか、迷惑をかけて死ぬか、ちょっとは役に立って死ぬか。まあ、いずれ人間は死ぬしな。

●そういう意味で、こんな日記すらプリントアウト系の薄っぺらい人間の精神一枚分の記録ではあって、どんなエンドがあるのか、まあ物好きは観察すればよろしい。