『空爆の歴史―終わらない大量虐殺』を読む

空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)

空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)

 第一次世界大戦後の1922年、イタリアの将軍ジュリオ・ドゥーエが『空の支配』(Il Dominio dell Aria)を著した。彼は大戦の経験から、これからの戦争は「もはや兵士と民間人の区別のない」総力戦であり、そこでは空爆によって民衆がパニックをおこし「自己保存の本能に突き動かされ、戦争を終わらせろと要求するようになる」と説き、住民の戦意をくじくテロ効果を強調して無差別爆撃論を提唱した。「戦時国家の最小限の基盤である民間人に決定的な攻撃が向けられるので戦争は長続きしない」、「長期的に見れば流血をすくなくするので、このような未来戦ははるかに人道的だ」とまで述べている。

 たまたまタイトルが目に入ったので借りてみた新書である。こないだ読んだアドルフ・ガランドの『始まりと終り』の後半の多くが、連合国による爆撃について述べられていたからだ。
 その内容といえば、アメリカの空爆と英国の空爆の違いであったり、結局のところアメリカの言う精密な爆撃なんてのはうまくいかなかったとかなんとかとか(もう返しちゃったからわかんねーや)。まあそれよりもなによりも、たくさんの都市を爆撃されまくったのに、むしろ航空機の生産量は右肩上がりだったぜ、みたいなことが書かれてて、そのあたりが気になったのだ(本書で、終戦直後のイギリスの調査でもそうだったという)。シュペーアかミルヒの手際のせいかもわからんが、大空襲を受けても折れないものなのか、とか(まあ、いくら飛行機作っても飛ばす人間と燃料が無ければ意味ないんだけど。その点で、シュペーデはヒトラーが「Me262を爆撃機にしろ」と言ったことについても、どのみち燃料がねえから大局に影響しなかったろうみたいに書いてた。ガランドは反撃とか報復とかいいから空爆に対抗するべきだし、Me262さえ揃っていれば、みたいな立場)。
 でもって、それで本書が目に入ったというわけ。でも、これは軍事的な(?)人の書いた純軍事的(?)ものではないのである。でも、そもそも空爆っていつどこでだれが始めたの? みたいなところから知らないので、そのあたりは勉強になったといえる。というわけで、当初は植民地の未開人相手にその文明力の差を圧倒的に知らしめてやるというところから使われ始め(そういった差別意識はやはり現代まで通じているわけだが。ヒトラーが爆撃による報復にこだわったのも、そういう高みからの攻撃に固執したんかな? ……勝手な想像だ)、そんでもって上の、ドゥーエのテーゼとでもいうべきものが出てきたと。

 そんで、そのあたりの思想が、B-25の名称のもとになったアメリ空爆の父みたいなやつに連なって行ったりと。

 そんでまあ、それはともかく、じゃあ、空爆で民間人をやっちまうことで、その民間人が厭戦気分に陥ったり、自国政府への停戦をうったえるかというと……まあそんなうまくはいかねえというか。厭戦気分にもなるだろうが、まあ少なくともナチス・ドイツ大日本帝国では、一般市民にそこまでの力が残っていない、もしくは怒りは爆弾を落っことしたやつに向くかなとか……俺は想像するのだけれども。 しかしまあ、皮肉な話といってはなんだけれども、爆撃した国は爆撃されるというか。植民地モロッコ相手にマスタードガスまで使って空爆したスペインがゲルニカされ(……って、内戦があったわけでこれを同一視していいかというと違うのかもしれないが)、ゲルニカしたコンドル軍団のドイツもさんざんにやられ、また、重慶とかやった日本はアメリカにさんざんにやられたりしたわけだ。埴谷雄高が言ってたみたいな、なんだっけ、相手に使用した武器は必ず同じ方法でもって自らに向けられるみたいな、そういうものを感じずにはおられない。
 そうなると、同時に加害者であり、被害者であり、あるいはコンドル軍団(……ってなんかこう、その、書くたびに特撮的な響きを感じてしまうが)の名誉剥奪で、2005年になって部隊名「メルダース」の名前を消したとか(wikipedia:ヴェルナー・メルダース)、そのあたりはドイツなりのけじめというか、被害者としてのありようを言うためには、ゲルニカ避けて通れないみたいなところなのだろう……かどうか。そのあたりは俺の想像だけど、ただ、本書では2003年に長年タブーとされてきたドイツの空襲被害について『シュピーゲル』誌が特集したという話も出ているので。
 あと、ドレスデンについて、ヴォネガットの『スローターハウス5』でようやく米国に知られるようになったとか、その『スローターハウス5』が米国内の図書館やらで焚書されるような目に遭っていたとか(こないだ読んだ『パームサンデー』に書いてあった。汚い言葉遣いのせい、ばかりではあるまい)。
 と、まあ考えてみたら、アメリカは本土空襲をほとんど受けていないんだった。そして、さらにはますます空爆帝国になっていっているのも事実で。ただ、ピンポイント度を増して増して、今や無人機による、空爆か暗殺かわからんような次元まで行ってて(/ WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com)、このあたりは今後の問題だろう。
 って、他人のことばかり言えず、じゃあ日本は片付いたの? 原爆や東京大空襲について、一方でどんな戦争犯罪してたの? みてえな、そのあたりの話にもなってくるだろう。じゃあ、どう責任取るの? 謝罪するの? それでアメリカに何をつきつけるの? となると、ようわからん。ようわからんが、まあとりあえずわかんねー、とさせておいてください。あと、広島生まれの父からの影響もあって、妙な反米愛国の旗が心のなかにあって、ほっとくと「富嶽を量産したあかつきには、米国本土を火の海に……」とか言い出したりするので、やめておきます。おしまい。

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