国枝史郎『神州纐纈城』を読む

神州纐纈城 (河出文庫)

神州纐纈城 (河出文庫)

 すばらしい伝奇蘊蓄百合ゲー『アオイシロ』のファンブックを読んだところ、プレイしつつなにかいい感じだと思ったコハク様の台詞回しは国枝史郎の影響だとシナリオライターの方が述べておられる。それなら図書館に行かずとも持っている、未読の『神州纐纈城』! 押し入れをごそごそやったらすぐ出てきたので読んだ。一気に引き込まれて読んだ。三島由紀夫が礼賛しようがどうか関係ねえ! こいつはおもしれえ!

「だがいったい姉さんは、どんな面が作りたいの?」
「極重悪人の新面をね」
「極重悪人とはどんなもの?」
「一番悪い人間のことよ」
「一番悪い人間とは?」
 月子は返事が出来なかった。
 すると甚太郎がこんなことを云った。
「悪人なんていう者も、善人なんていう者も、この世に一人だってありゃあしないよ。悪い事をした時が悪人で、善い事をした時が善人さ」
「では悪事とはどんな事?」
「泥棒したいと思った時、泥棒しなけりゃあ悪事だよ。泥棒したいと思った時、泥棒すれば善事だよ」
 大変簡単な解釈であった。
 だが恐ろしい言葉であった。
 そうしてひどく迷語的であった。

 と、青空文庫があることに適当なやりとりを引っぱって来てみたが、とにかく風呂敷がでけえ。纐纈の布に導かれ、父母とおじを追って出奔した主人公、それを追う武田の刺客、本栖湖の謎の城、人の生き血を絞って染める纐纈の衣、その城主の奔馬性癩患、富士山教団と役小角の教えを受けつぐ聖人の光明優婆塞、殺人者三合目陶器師、西洋式手術を行うサイエンティストに塚原卜伝、そして山本勘助の戦車とは……。そこんところに、宗教、医学、哲学、正確に書かれた時期は大正14年、これを大正教養主義といっていいかしらんが、人間とはなんぞやのところにも切れ込んでいくスケール!
 で、なにもかもがどう収束していくのか! って思いながらページめくってって、「あれー?」って思ったら、(未完)なのだぜ。いや、読んでりゃページの感じでなんとなく予感できたさ。つーか、読む前にそんくらい知っとけという話かもしらんけれどもだな。で、いくら三島先生が伝奇は未完を内包しているとかなんとか言おうが、続き……! って気にはなる。『虚無回廊』……! とか。
 けど、そんでもやっぱりこれ名作や。まずなんつーのか、富士山のあたりという舞台がいい。若松孝二が好むあの荒涼とした景色、それに洞窟だのなんだのちょっと仕事で見に行ったあたりやら……あと、植物の名前とかつらつら出てきてなんというか気配や香りがあって好もしい。そこを舞台に魑魅魍魎人殺し、因業まみれの人間どもが蠢き、夜光虫が光る洞窟では美しい女が一人能面を彫り、人には造顔術を施し……。『類推の山』は未完がゆえにすばらしいか? 『神州纐纈城』もそうなのか? おれにはわからん。わからんが、未完であることを差し引きしても儲けは出る(青空文庫で読めるし)、そういう塩梅の代物だ。
 で、個人的にはまあ、未完でもいいかというあたりになったのは、これと同じだけの風呂敷をバーンと広げて美しく回収した話を知っているからだ。半村良の『妖星伝』だ。『妖星伝』があるから『神州纐纈城』が未完でいいというわけではないが、しかし、『神州纐纈城』を完結させるならあれだけのスケールまで広げる必要が……あるかはどうかはともかく……、まあそんな心持ちなんだ。

関連★☆☆☆☆

完本 妖星伝〈1〉鬼道の巻・外道の巻 (ノン・ポシェット)

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完本 妖星伝〈2〉神道の巻・黄道の巻 (ノン・ポシェット)

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……しかしなんだ、『妖星伝』にしろ、『纐纈城』にしろ、10代のうちに出会っていればという気はひどくつきまとう。出会っていたらどうなったというわけでもないが。

……そういや、『アカイイト』読んで『妖星伝』に手を出したのだから、なんとも行動パターンが単純なものである。

類推の山 (河出文庫)

類推の山 (河出文庫)