おれは新劇版エヴァの最後にあの体験の再現を求めている

 おれが初めて『エヴァ』を観たときのことははっきり覚えている。テレビ本放送の途中からだ。テレビをつけると初号機がカヲルくんを握りしめ、ずっと静止していた。そのあとどうなったか言うまでもない。

少年「ありがとう。君に会えて、うれしかったよ」
画面BLにつぶれる音だけが聞こえる。
インサートでLCLに落ちる首のシルエット。
EVANGELION ORIGINAL III』

 そして弐拾五話、最終話。深夜再放送〜旧劇。

「あなたの過去が消滅しないかぎり、あなたは運命が定まっている。そのことは知っていますか?」ソフィアがわたしに言った。
「ああ」
「あなたの未来は過去と違うものなければならない。未来はいつも過去と違っていなければならない」
P・K・ディック『ヴァリス

 テレビをつけたのはたまたまではなかった。そのころはいた友人というものが、「すごいから見ろ」とさかんに進めてきて、ふとそれを思い出したのだった。ものすごく中途半端だけど、これ以上ない「すごい」シーンから見せてくれたものだ。

「いままではあなたたちの内に何もなかった。いままではあなたたちは孤独だった。いまあなたたちは病んだり、くじけたり、死んだりすることのない連れそいを得ているのです。あなたたちは永遠なるものと結びついているから、心を癒す太陽そのもののように輝くことでしょう。
「世界に戻ったら、わたしが毎日あなたたちを導きます。あなたたちが死ねば、わたしはそれを知って、あなたたちをひろいあげます。わたしがあなたたちを抱いて、あなたたちがやってきて、そして戻っていく。あなたたちの安息所へ運んでいきます。
「あなたたちはこここではよそ者だけど、わたしにとってはそんなことはありません。わたしは最初からあなたたちのことを知っていた。ここはあなたたちの世界じゃないけど、わたしがあなたたちの世界にしてあげます。あなたたちのために変えてあげます。こわがらないで。あなたたちを襲っているものは消え、あなたたちは栄えるのです。
P・K・ディック『ヴァリス

 さておれは、どのようにして『エヴァ』にはまったのだろうか。正直なところよく覚えていない。大学で競馬のサークルの先輩というものがいて、「エヴァみたいなのはおまえのようなやつのためのアニメだ」と言われた記憶がある。そう言われておれは軽く反発を覚えたような気がする。
 ただ、そのときの反発は、なんとなく『エヴァ』が内向性やコミュニケーションに問題のある人間の話だというのを表層的に当てこすってきたような気がしたからだったと思う。それに、たぶん、そこまでおれ『エヴァ』にハマり込んでいないというか、だれか登場人物に感情移入したりしてないとか、そんな感じだったと思う。

14
宇宙は情報であり、われわれはその中に静止しているのであって、三次元内にも空間内にも時間内にも存在しない。われわれは送りこまれる情報を現象界に具現化する。
P・K・ディック「秘密教典書」

 結局のところ、あの先輩の言葉は正しかったのかもしれない。コミュニケーションに問題を抱えたおれは結局、大学もサークルもなく、ただ親の金で競馬をするだけの人になってしまったからだ。ひきこもりのニートだ。そして、この歳になって限界が来て、精神科のお世話になって薬食って生きているのだから。
 極端な言葉で言うと、あの言葉は暗示のようなものだったかもしれない。そのあたりで人生のカレンダーをなくしてしまって、あの言葉が旧劇の前か後か間かもよくわからないが。

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現象界は存在しない。これは<精神>が処理する情報の実体である。
P・K・ディック「秘密教典書」

 ただ、出会い方か気質かなんのせいかわからぬが、結局のところわりと自分にとっては登場人物に移入するようなものではなかったし、今さらそうもなりそうではない。心理学的とでもいうべきか、自己啓発セミナー的とでもいうべきか、よくわからぬが、そういったところで「シンジ君はおれだ!」みたいな意識は薄い。……もちろん、意図的にそう思いたがっていると言われたらそうかもしれないが、そういう方向からなにか語りたいと思っても、あまり言葉が湧き出てこない。わりと14歳に近い年齢で出会ってはいるはずなのだけれども。

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われわれは情報を対象に具体化して考える。対象の再配置は情報の内容の変化である。メッセージは変化している。これはわれわれが読みとる能力をなくしてしまった言語である。われわれ自身がこの言語の一部なのである。われわれの変化は情報の内容の変化である。われわれ自身は情報に富んでいる。情報がわれわれの内に入り、処理され、変化された形態としてもう一度外部に投射されるのである。われわれはこれを行なっていることを知らない。事実、われわれが行なってきたことはこれだけであるのだが。
P・K・ディック「秘密教典書」

 じゃあどこで『エヴァ』に……それなりに惹かれたかというと、衒学趣味的なところ、オカルト的なところ、神学的なところ、そしてなによりSF的なところといえる。といっても、おれがSFを読みだしたのは、ディックを読みだしたのは『エヴァ』より後だ。ただ、澁澤龍彦かぶれの美少年の中二病ではあったさ。

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われわれが世界として体験する変化しつづける情報は、開示されゆく物語である。ある女の死について語っている。はるか昔に死んだこの女は原初の双子のかたわれであった。聖なるシュジキのかたわれであった。物語の目的は女とその死の追憶である。<精神>は女を忘れるつもりがない。かくして<脳>の推論は女の存在の永遠なる記憶から成り立っており、もしこの推論を読みとるなら、このように理解されるだろう。<脳>によって処理される情報――物理的対象の配置・再配置としてわれわれが体験する情報――は、この女を保存する企てである。石、岩、棒きれ、アメーバが女の痕跡である。女の存在と死の記録は、いまや単独となって苦悩する<精神>によって、現実という最も卑しいレヴェルで整理されている。
P・K・ディック「秘密教典書」

 それでディックの翻訳した大瀧啓裕『エヴァンゲリオンの夢 使徒進化論の幻影』の影響もあり、ついさっきまで『ヴァリス』など再読してしまってたわけだが。しかし、『ヴァリス』もまた著者の個人的な精神状態と衒学というかありすぎる知識によって覆い尽くされているものの、主題は不幸な死に方をした二人の女についての後悔と、車に轢かれて死んだ一匹の猫についての話と言ってもいい。しかし、作中SF映画『VALIS』を観たあとの彼らの会話ときたら、まさに『エヴァ』を観たあとのファンと変わらないじゃないか。

ベーメ思想の根幹にあるものは原人アダムと第二のアダムとしてのキリストである。すなわちルシファー(セイタン、ベリアル)の墜落によって生じた混乱を回復するために生じた混乱を回復するために神は原人アダムを創りだした。この原人アダムは男でもあり女でもある完全な統一された存在である。しかし原人アダムには自由意志があり、神を離れ、自然に惹かれたため、原人アダムの女の部分であるソフィアが点に帰ってしまう。これが第二の墜落である。神は男になったアダムを憐れみ、女のイヴを創る。アダムはソフィアを求めてむなしくイヴを求める。かくして果てのない生死の輪廻をくりひろげる時間が生じる。神はアダムを完全な原人アダムに復帰すべく、キリストを創りだす。キリストはイヴのソフィア化である処女マリアから生まれ、第二の墜落の原因である自由意志を放棄し、完全な受動性の内に磔刑につく。キリストが磔刑で刺された脇腹はイヴが創られたアダムの肋骨。ここにすべては逆転し、救いは可能性でなく現実になる。
大瀧啓裕「Adversaria」

 と、これら引用はなにか思わせぶり(ちなみにwikipedia:ヤーコプ・ベーメの項ではイヴでなくエヴァという表記なのね。しかしまあ、この項のエヴァっぽさ)というか、そんなだけの話である。これを直接『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の内容とどうこうという話ではない。ただ、こういう空気が好きなのだ。とはいえ、もうとっくに解決済みというか、問題外になってるタイプの話題かもしれない。おれ一人しか息していないかもしれない。それで結構。
 でも、せっかくなので恥ずかしながら『Q』の解釈というか、おれはこんな風に見ている、というところを書くか。といってもやはり、『エヴァンゲリオンの夢』の影響もあって、新劇場版も碇シンジ少年の夢ではないか、という疑いの目を持っている。夢か妄想の中で何度も何度も夢を見ている。「ループは今さらないだろ」という中にあって、夢オチこそありえないかもしれないが、それを匂わせることはできるはず。というか、たとえば「あの照明は裏で冬月先生がやってるのか?」という笑い話みたいなのがあるが(まあオートメーションなんだろうが)、それにしてもあまりにも人が少ない不気味さとかさ。いや、空白の14年のことはあるが、あまりにも閉じられすぎていて……。
 まあ、個人的な夢や妄想でなくても、なにかしら『Q』に感じた印象は映画『マトリックス』であって、やはり現実は現実か? というディック的悪夢でもある。と、アニメ作品の中の現実は現実か? というのもおかしな話だろうか。とはいえ、『エヴァ』はそこに可能性を残しているものであることも確かだ……よな。
 あるいは、だ。まさに「エヴァンゲリオンの夢」の世界。旧劇で銀河の西に向かって飛んでいった「人の生きた証」が50億年かけて見る夢。そのバリエーション。それともシンジとアスカ抜きのLCLの海の中で繰り返される人類その他の夢……? だと、新劇版の二人はどうなるんだ?
 というと、しかし、旧劇の続きだよポジションなのか、おれは。いや、そうであってほしいというところがあるような気もする。なんとも言えない。ただ、どっかでつながっていていてくれた方が、より不思議でいいんだ。そう、不思議なのがいいんだ。なんにもわかんなくて、唖然とさせられて、問答無用にスクリーンの幕が閉じて、白昼夢のような世界に吐き出される、あの『EOE』見終えたあとの感じ……。おれは新劇版エヴァの最後にあの体験の再現を求めている。

>゜))彡>゜))彡

エヴァンゲリオンの夢―使徒進化論の幻影

エヴァンゲリオンの夢―使徒進化論の幻影

……画面に映るものの全てはメッセージみたいなのもこの本の影響が大きい。とくにアニメーションだし、意味のない絵はない、のではなどと。たとえそれが引っ掛けや単なる遊びであったとしても。『Q』だって、ネルフのロゴとか、あの模様とか、まあいろいろ気になるような。

……ちなみに、バリエーションやパラレルというと、おれはだいたいブランキの『天体による永遠』を念頭においている。「一八七一年パリ・コミューンの激動のさなか、トーロー要塞の土牢に幽閉された孤独な老囚」の夢である。ところで、文庫化してて驚いた。

ヴァリス (創元推理文庫)

ヴァリス (創元推理文庫)

聖なる侵入 (1982年) (サンリオSF文庫)

聖なる侵入 (1982年) (サンリオSF文庫)

ティモシー・アーチャーの転生 (創元SF文庫)

ティモシー・アーチャーの転生 (創元SF文庫)

……これを三部作とすると翻訳者に怒られるか(二部で完結、『ティモシー』からは二部を踏まえての新しい作品)。ただ、もし新劇版最後が『ティモシー・アーチャーの転生』的だとしたら、本当にすごいことになるな。