夕日、没落者の栄えある輝き。〜古田大次郎『死の懺悔』を読む〜

死の懴悔―或る死刑囚の遺書

死の懴悔―或る死刑囚の遺書

※おれが読んだのは「完全版」を銘打った黒色戦線社発行の1988年発行の増補版。
宇野浩二曰く

そういふ思想を持つた人は、どこかいびつな、いがんだものの見方、考へ方をしているだらうといふやうな豫想が全然裏切られた。いびつな見方、いがんだ考へ方では、如何なる人も、この著者の方から反省させられなければならない。この本は人の心を感激させると共に、人の靈を静めてくれる。かういふ稀れな純粹な心を持つていて(純粹といふ轉では女の腹から生まれた人の中で、この人より純粹な人は少ないであらう)かういふ不運な運命にめぐり合はせて、こんなに厭味なく、こんなに自然に、自分の思ひを、友人に就いて、戀人に就いて、父に就いて、家庭に就いて、自分に就いて、雀に就いて、紙の折り鶴に就いて、社會の不正に就いて、語れるということは驚くべきことである。これは一番いい意味で藝術的であり、宗教的であり、哲學的でもあり、そんな難しい言葉を止めて、何よりも人間的である。一口にいふと、この本は「愛」の本である。

 ……といふわけで、古田大次郎の『死の懺悔』を読む。これも映画『日本暗殺秘録』を観て読まねば、と思つた本である。その点では『二・二六事件獄中手記・遺書』と同じである。おれは性根のところでテロルどころか思想的背景のなさそうな無差別殺人すらなんとも思わぬいがんだものの見方をする人間であつて、そこに右も左も虚無主義もなければ、赤も白も黒もないのだ。さらに正直にいえば、「私は死刑囚の書いたもの、死刑囚について書かれたものが好き」と言い切ってしまう高畠素之(上の宇野浩二の批評と同じく巻末に収録されている。書き出しがこうである)と同じ趣味もあって、そういう意味でもやはり読まねばならんと思っていたところである。
 しかしまあなんだろう、宇野浩二も布施辰治弁護士もいうように『死の懺悔』という題はあまりいただけない。そのような暗い雰囲気を思わせるようなものではない。アナーキスト、テロリストの死刑囚が書いた本を売らんがためにつけられた題のように思える。こういってはなんだが、古田くん、あまり懺悔していない。
 いや、懺悔していない、というのも嘘になる。結果的に巻き添えにしてしまった同志、期待を裏切ってしまった父、そしてなにもしらず帰りを待つかわいい妹達には幾度となく涙している。
 しかし、一方で、なんだろうか、なんというのか、そことは違った地点から飄々と、ある種の清々しさ、透明感でもって自分の置かれた環境、自分の人生を書いている。それもまた、いかにも悟りきった風でもないのに、悟りきったようでもあり、非常に弱い人間のようであり、ひどく強くも感じられる。日々刻々と心境が変化していくようでもあり、おおまかなところですでに定まってしまっているようにも見える。そしてなるほど、追憶の犬や猫(猫のクロのくだりなど、おれなどは涙なくして読めないので本当に飛ばしてしまったくらいだ)、草や花への愛にみちている。しかし、彼を虚無主義者というなら、それはそれでしっくりくるようなところすらある。
 読んでいる間は死に向かって駆けていく、あるいは死が迫ってくるその緊迫感に夢中になるところもあるが、ふとこれはなんなのだとも思いたくなる。いかに自分の虚栄心が愚かであるか、あるいは死ぬべき時は今だとか、あるいはついに遂げられなかった恋のことなどなど……。ただともかく名随筆だ、後世に残すべきものだ、ともかく読め! といってしまいたいようにも思える。

 僕は、春夏秋冬とりどりに面白いところがあるから好きである。ことさらに春がよいとか秋がうれしいとかいうことはできない。身体の弱い人、身体に障りのある人などは、ずいぶん夏とか冬とかを嫌うものだが、それは無理ないことだが、自分は幸いに身体が丈夫だったから、そうしたことはなかった。
  ◯
 花についてもその通りである。僕はあまり花の種類を知らないが、たいていの花なら好きである。花を見ることも好きである。しかし、あまり毒々しい色彩の花や、妙に誇らかな花だという感じを与えるようなのは好まない。花にも貴族と平民との別がある、あるのではなくて観る人がそうした感じを起こすのだが、自分はそのなかの平民的な花が好きだ。しかし、無心の花にまでこうした区別をするのは可哀そうである。というよりも、区別する自分の心が悲しい。
  ◯
 乾いた土も好きだが、心持ち湿った土も好きだ。グチャグチャしたぬかるみだけは好まない。
  ◯
 風のまるっきりない日よりも、微風ぐらい吹いている日のほうがいい。

 今、『PSYCHO-PASS サイコパス』というSFテレビアニメを放送している。銃の形をした機械が、自動的にある人間の犯罪係数なるものを測定するという仕掛けがあるのだが、もしこれを古田くんに向けたところでまったき低き数字、澄んだ色相しか現れないのではないかと思う。ある意味、「リャク」のために死んだ人への無関心などはサイコパスの風だと思う人もあるかもしれない。というか、おれとて少しそう思う。そして、犬や猫に涙を注ぐのに、人にたいした同情心というものが湧かないおれは、その点について少し同感するようなところがある。いやはや。
 それにしてもなんだろうか、おれは大杉栄の文章を読み多いに感じ入るところがあって、その復讐と失敗を描いた松下竜一の『久さん伝』(……今、自分の感想を読み返せば古田大次郎のことばかり書いている)やら近藤憲二の回想録やらを読んでいて、なんとなくの人間関係はわかっていたものの、なんというか当事者ならではの視点というか、そういうものにも興味を持たざるをえない。やはり大杉―和田のラインと、大杉―古田およびギロチン社の関係というものは、世代差もあって多いに違おう。発行者によるあとがきでは、古田およびギロチン社は本来のところ大逆事件であったのだが、官憲による脅迫によってそれをもみ消し、「大杉らの復讐等という小さい殉教者としての受刑になったのだ」と書いている。古田も記す。

 大杉君を中心としていたアナアキスト諸君と僕たちとの間には、確かに思想において行動においてかなりの隔たりがあるにはあった。しかしそういういものを超越したある親しみが両者の間にあったこともたしかだった。

……和田君は公判において「富岡君たちは僕たちの計画を聞いた時、何でそんな小さな事で生命を捨てようとするのだとやや冷笑気味で僕たちを見ていた。だから恐らく」僕もすだったろうと言ったが、富岡君にせよ、僕にせよ、決して冷笑をもって迎えはしなかった。もちろん、和田君たちの計画は僕たちから見れば「小さい」が和田君たちの眼で見れば「大きい」。それは和田君たちと僕たちとの持つ福田大将等に対する憤慨の度が違う(それは一面において両者の対大杉関係の厚薄を示すものだ。)のだから止むを得ない。

 と、しかしだ、この和田久太郎との、あるいは先に病に斃れた村木君との心のつながりときたら、なみなみならぬものがある。とはいえ、やはり古田と絶対強い関係にあったのは中濱鐵(中浜鉄)にほかならず、幾度もいくども語られている。古田によれば中浜の方が詩人であり、文才もあり、小説も残したというが、どうも今は手に入りにくいようで残念だ。

 もうたんぽぽは末になったのだろうか。それとも、曇りの日だからだろうか、今日は花が見えない。枯れてしまったのか、寒いので閉じているのか。どっちにしても淋しいことだ。
 運動場の壁にGMと楽書してあるのが、今日久し振りで見つかった。言うまでもなく村木君の署名だ。なぜ源ニイサンは、生きていなかったのだろう。いつだったか、そうだ、村木君が病舎に運ばれて、和田君と僕とが最後の別れを源兄さんに告げた時だった。和田君がせめて一度公判に出してやりたかったと言ったっけ。その公判は、もう一週間の内に来る。ほんとうになぜ死んでしまったのだろう。
 しめやかな雨が降り出した。久保山の墓地は静かだろう。去年横浜にいた頃に一度倉地と二人で遊びに行ったことがある。あの墓地のどこに村木君は眠っているのかしら。今日のような雨の日にもう一度、あの横浜の郊外を歩いてみたい。

 ああ、優雅で感傷的なアナーキストたち。古田の墓は青山にあるというか、どこに眠っているのだろう。いつか訪ねてみたいものだが。

関連>゜))彡>゜))彡

 古田の遺書の一部が孫引きされているが、全文はこうだ。

 後の始末よろしく頼みます。菊の花も見ないでゆくのが残念です。今大変静かでこの手紙を認めています。今日は秋晴れの好天気です。こうした朝に死ねるのは大変うれしく思ひます。
 和田君や外の諸君は何をしているか、お序での時、くれぐれもよくお伝へ下さい。手紙でお頼みした本の出版、是非おききとどけ下さるやう。同志諸君から一方ならぬお世話になりましたが、諸君からよろしく云つてください。
 古人は死を見ること帰するが如しと云ひましたが、之はけつして云ひ過ぎた言葉でもありません。恐怖も哀傷も何もありません。妙な気はしますが。(しかし死は要するに――原文抹消)生、死、これが人生の真実の相ですね。僕の墓は青山ですが、葬儀なぞやつてくれるのでしたら出来るだけ質素に静かにやつて下さい。つまらぬ空騒ぎや大袈裟なことはくれぐれもお辞します。
 ただ、出来るだけ沢山花を飾つていただきたい。山にのに咲いている可愛いい花を。ここの庭に菊があつたが、遂にその花は見ないで終りました。
 書きたい事も沢山ありますが、皆さんお待ちかねのやうですから、これで失礼しませう。
 では行つて参ります。 
 左様なら。
 
 大正十四年十月十五日午前八時二十五分
 市ヶ谷刑務所 阿弥陀堂にて
 古田大次郎

 竹嶌継夫は獄窓から見えた芝生の上の雀を見て「雀になりたいなぁ!!」と記しているが、古田も同じように鳩になりたいと書いている。まあそういうものだといえばそういうものなのだろうが。ちなみに、あまり宗教に傾倒するところない古田だが、夢の中で阿弥陀様を尊崇している体験をし、「これは特筆すべき価値かもしれぬ」と書いている。……直後に「今いわゆる神仏に頼っているものでもないことも」特筆しているのだが。

 この最後に引用している岩佐作太郎は、古田の遺書の宛名の二番目に書かれた名である。一番目は近藤憲二、三番目に江口渙、四番目に加藤一夫

 〈狼〉の連中が『死の懺悔』を読んでいたかどうか知らぬ。しかし、古田が書き残した鉄橋爆破未遂(鶴見川鶴見橋とかいうところらしい。横浜はじまったな)や、むさい男ばかりが集まって暮らしていたのでは周りに不審に思われるし目立ちすぎるだとかの教訓、そしてなにより、彼等が純真すぎたというところなど、なにか似通ったところはある。思想的隔たりについては知らない。

 こちらももちろん、後世に残すべき本だ。

 ロープシン=サヴィンコフの蒼だか黒だかの馬の本を読み、「ロープシンとはどのような経歴の人物なのだろう?」みたいな疑問を書き残している。まだ社会革命党戦闘団の話も、サヴィンコフの最後(くしくも同じ年に死んでいる)もアゼフの話も広まってはいなかったのかどうか。