たった二枚の桜の写真のために

 桜の写真はむつかしいというが、おれは自分のカメラというものを持ってから数年は経つが、桜の写真をそんなに撮った覚えがない。少なくともここ横浜あたりでは、年度末前後に咲くからだ。年度末というのは忙しいのだ。おれはいつかきちんと同定したウメやバラやツツジの品種ものの写真で小遣い稼ぎの一つでもしたいという壮大なる野望があるが(自然と「壮大なる野望」という言葉が出てくるあたり、まあ面倒くさいのでやらないのだけれど)、サクラは無理だ。


 というわけで、今日も会社に出ていたが、思いのほか早くことが片付いた(今日片付けられる範囲内については、だが)ので、まだ暗くならないうちに帰ることができた。え、日が長くなってんの? おれの許可とったのかよ?
 とかいうのはともかくとして、川の端っこに夕日が反射し、その手前に桜が咲いている様子、というのに帰り道出くわしたわけだ。おお、これはシャッターチャンスでは? ということで、すばらしいtimbuk2メッセンジャーバッグからα65を小粋に取り出し(ウソである。すばらしいブラックラピッドを装着していたのがiPhoneのイヤホンとこんがらがって大変だったのだ)、レンズを向ける。
 ……のだが、おれは慌ててていた。まずどっからどう撮るか決めなきゃいけないし、そもそも現状、カメラの設定が会社の水槽のヌマエビの藻を食う様子をマクロ動画で撮りたいのに失敗した(あれ、忙しいんじゃねえの?)、という状態で、即座にいろいろの設定しようにもできず、そもそもどういう設定がいいのか元から知識もなく、どうでもいいからピント合えというか、うーん、この、アカン。
 というわけで、世の中に絶えてカメラのなかりせば……などと昭和の四コマ漫画みたいなことを思いつつ家路についた。でも、あっという間に夕日は水面に映らなくなって、世の中は薄いブルーのつまらない曇った夕方になったんだし、あのときにカメラがなければiPhoneでも撮っていただろう(そっちの方が写りがよかったかもしれない)。
 だからなんつーんだろう、世の中に絶えて……ってのは、単に桜を讃えるだけでもなく、人心なるものを言い当てるだけでもなく、もっとそれ以上のなにかなのかもしれないと、そんなふうに思ったんだけれども。さて、それ以上とはなんだろうか。おれは情報そのものの性質、というところに行きたいのだが、そこに至る道筋もわからで、ただこうやって書き残しておこう、比較的ましな二枚の写真とともに。いや、フォトショップ使わせてくれたらもうちょっとましにしますけれども(負け惜しみ)。