効率的な指詰め機械

 「あの、どこか潰れた競馬場から来た楢崎というのは、馬を動せる乗り役ですね。地方の競馬のしまいなんてのは、人が馬を動かせなけりゃ話になりゃしませんからね。
 これが人間社会だと、人を動かせるやつがえらいって話になるんでしょうな。わたしなんぞは、小さい会社に勤めて、かれこれ15年以上ずっと、いちばんの下っ端なんですから、どんなに年下の若い人相手でも、動かしかたなんてわかりゃあしません。上から指示されたものをへいへいいいながらこなすだけですからね。馬齢を重ねるって、馬に失礼な言い方じゃないかって思うけれども、まあ、わたしにはお似合いの言葉でしょう。
 それでもまあ、生きて、競馬なんぞしている余裕があるうちはマシでしょう。五体満足、脳の方は少々おかしいかもしれないが、マシな話でしょう。ほら、両手に五本の指だって揃っている。
 そりゃあわたしも、仕事でミスをして、小指とおさらばする危機がなかったわけじゃない。会社の片隅には、効率的に指を詰めるちょっとした機械があってね、社長がなにかあると使いたがるんですよ、これを。小指、薬指、中指……って具合に、コレクションしたいみたいなんだな。
 でもね、わたしのときはね、必死に抗弁してみたもんですよ。『社長、左手の小指を飛ばされるとタイピングに悪影響が出ます』って具合だ。わたしのタイピング速度はそこそこのものでね、それも書き写しなんかじゃなくて、自分で文章を書けるから、それなりに重宝されているという自負もあったんだな。それで、社長に、『Adobeのショートカットのときは左手をスライドさせて親指から中指までしか使っていないじゃないか』なんて言われても、必死に『母音のaのキーが打てないと、知らず知らずのうちに‘あかさたな’を避けた、へんなテキストしか書けなくなります』って粘ってね。
 まあそういうわけで、小指、薬指、中指、人差し指、親指と揃ってるわけでね。まあ、わたしは馬も人も動かせる度量もありゃあしないので、せめて指だけでも動きゃあ御の字という具合ですよ。おや、もう返し馬だ。このレース、どうしますか? 中央交流の準重賞だと、楢崎の馬にはちょっと家賃が高いと思いますから、中央馬見つくろってでボックス組みますよ。キサスキサスキサスの子なんかもいますしね……」
 そう言い終えると、男は大井競馬の人ごみのなかに消えていった。おれは効率的な指詰め機械というものがどんなものか気になって、メーン・レースを買いそびれてしまった。その機械を使えば、すっ飛んでいった小指がニワトリ小屋の中で見つかるなんてことはないのだろうか? それよりも、あの冴えないどぶねずみ色の作業服を着た男は、どこでどんな内容の「テキスト」を書いているのだろう?