- 作者: 中西悟堂
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
- 発売日: 1997/02/25
- メディア: 単行本
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……という具合に、もうなんか無茶苦茶おもしれだろ。これが日本野鳥の会の創始者なんだぜ、まったく。でも、やっぱり原著の方が独特の味があって読んで損はねえかな。岸田劉生は友人がくると片っ端から顔をスケッチしたもんだから、「岸田の首狩り」と呼ばれたとか、親戚に32人の妾を作り、37人の子を作り一つ屋敷に住まわせた親戚がいたとか、細かい話も読めるし。
それに、さらにいえばこの悟堂さん、裸族だし。徹底した裸族っぷりで、地元の警察に「どこまでのハダカなら軽犯罪法にかからぬか」と聞いたりしてるくらいだ。
「股間と臀部を露出しなければ宜しい」
「えらくむつかしいんですな。平民的にホンヤクすると、マタグラとシリをむきだしにせねばよいということに受取れる。そうでしょうか」
「その通り」
でも、これが書かれてる「ハダカ哲学」の章で……って上の松岡正剛も引用してるけど、こんなことを書いてる(同じ箇所から引用してるけど、ちょっと違うな)。
ただ世界が今後コンピューターによる情報社会となればなるほど、人間はひまにならず却って多忙と過労に追い廻されるだろうと私は思う。反対に機械革命が将来人間に莫大な「余暇」を与えると仮定しても、その余暇は私共がいま常識としている余暇とはまるで異質の余暇、すなわち地獄に隣する暗黒の余暇かも知れぬという予感は、すでに現在の事象の中にもちらちらしている。それが福祉と平和の道をどんでん返しにするかもしれない。あるいは今、人間は人間以外のものになりつつあるのかもしれない。
あるいは、
メガロポリスも情報社会も、電子、量子の時代も作るだろうが、やがてかならず衰えがくる。この理屈には無理はないと思っている。だから御始祖様方には相済まぬが、私の宗教も、からだがもとの悟堂宗、所詮は人間生理を含めての自然教だ。
と。なんだろうこの、明治28年生まれの人間の慧眼というか、鳥の人なのだから鷹の目というか。幼い頃に仏教修行をし、本業の詩歌のほかに絵画までやってのけ、その上謎の裸族生活に目覚めた人間のいうことだけにスパっとくるものがある。なんとか評論家が言ってるより、正鵠を射てるんじゃねえかとか。どうだろうね、「コンピューターによる情報社会となればなるほど、人間はひまにならず却って多忙と過労に追い廻される」。おれは当たってるような気がするけどね、と。