車谷長吉『武蔵丸』を読む

武蔵丸 (新潮文庫)

武蔵丸 (新潮文庫)

 誰の心の中にも「一番寒い場所」というものがある。心にこれをやらなければいけないと思い決しながら、ともすればそれが実行できない部分である。行動できない部分である。
「一番寒い場所」

 初めて車谷長吉の本を読んだ。
 「あれっ」と思われる人もいるかと思う、などというのは自意識過剰だろうか。 『赤目四十八瀧心中未遂』の映画を見たくらいだ。
 それにしても、かりにおれに精神というものがあるのであれば、似たような車谷長吉(の書き出すもの)もあるようなものだと思う。人類を二種類か三種類くらいにわければ、少なくとも同じカテゴリに入れられるだろう。
 折口信夫の『死者の書』を読み、古田大次郎の『死の懺悔』を読み、長嶋茂雄の凡退に暗い喜びを覚え、海外で現地調達しつつの旅などもってのほかという。どこまでが本当のことかはわからないけれど、そこにはなにかあると思った。
 敗北者にしか聞こえない歌があるように思った。あるいは敗北せざるものの歌かもしれない。
 おれにはよくわからない。文庫本『武蔵丸』から読み始めていいものかどうかもわからないが、なにかしらがあった。そして、おれがその感想をうまくそれを指し示せない。指し示せないのは、たとえば体温と同じ温度の水に手を入れたとき。高みを仰ぐでも、下を覗くでもなく、そのまま入り込める世界があって、そのようにものを見たように思わされてしまったからかもしれない。
 『にんじん』のルナールは子供の世界をテーブルの下で発見した。そして、「それで」書いた。そんなことを高橋源一郎が言ってたかもしれない。これも「それを」ではなく、「それで」書かれた作品集に違いないように思える。その目はだれの目か、そこまで持っていかれる。そこまでいえば言い過ぎもいいところだろうが、あえて書いてみたところでどうということもないだろう。

関連★★★